見出し画像

お休みやリフレッシュのことを本気で考えるようになった

最近、岸田奈美さんのnote、「【ご報告】推されたので休業します」

を読んでけっこう激しく共感したというか、心が揺さぶられたところがあったのです。

もし興味があったら、ご一読願えたらと思うのですが、読めない方のために少し説明をすると、岸田奈美さんはいつも奇想天外で、奇跡的なハプニングに遭遇する稀有な御人であり、最近は部屋に汚水がぶちまけられたり、本当に大変な目に遭遇していたみたいで。

それで、「元気なのに、休みます!」という宣言をされて(←一方的に宣言したわけではなくて、読者の方にもちゃんと相談をして、温かいお言葉を頂いたらしいです)、一週間何もしないでぼーっとする日を作ったそうなのです。

この一連の休養までの流れと、休養宣言を見た時にすごく揺さぶられたのは、やはり、「他人事ではない」と考えたからです。

人は、気を付けないと、いつの間にか自分の疲労の限界を超えてしまう。その状態になった時に、周囲には「大丈夫です」と言いながらも、疲労と共に、なんらかの「休めない恨み」みたいなものも溜まっていったりもしますよね。

あと、これは占いにおける個人鑑定の現場でも体験してきたのですが、どう考えても「疲労の限界を越えた人」のことを多く見てきたのです。そういう人に対して、「休んだ方が良いですよ」というのは簡単だけど、それってものすごく無責任な言葉でもあったりするじゃないですか。本人だって「休んだ方が良い」なんてことは知っているわけだし。でも、休んだ後に「取り返さなければいけないこと」や「整理をしていかなければいけないこと」など、そういうことに対しての気力が湧いてこないことなんかも多い。

だから、占いの現場では「ちょっと時間を掛けて、段階的なお休みの手続きを取れるよう」に一緒に考えていったこともあったのですが、でもやはり、占いを通じても思ったのが、「お休みは、限界が来る前に」がやはり大切になってくると今でも考えております。

僕個人としても、かつて個人鑑定をやっていた時に、限界が来てしまったんです。一日4組とか5組のお客様に会っていて、ひとり大体一時間半ぐらいはどうしても喋ることがあって、やっていたことがあったんですよ。

その時は無趣味だったし、健康を気にしないでずっと「占いの仕事だけ」をしていた状態というのもあって、段々と疲れが取れなくなってきてしまっていました。

その状況を仲の良い人数人に相談したら「休みな休みな。あなたは絶対に働き過ぎだって。あ、でも、私と友達の二人で予約を取りたいんだけど、お休み取る前にいけたりする?」と言われたことがあって、その時に本格的に「自分の身を守ることは、自分の責任である」と強く悟りました。笑

ただ、「休む」とか「休養を頂く」のは、本当にハードルが高いことでもあったりする。

それこそ、「倒れるぐらいのレベルのこと」が起きた時ぐらいに初めて、「あ、休まなきゃ」と真剣に考えて、各方面に連絡をしていったりするようなことがほとんどかも知れなくて。

でも、冒頭で挙げた岸田さんの記事のように、本来、お休みというのは「限界が来る前」に取るべきものであるし、やっぱり、好きなアーティストの方も、一般の方も含めて、「ちょっとお休みしまーす」→「いってらっしゃーい」ぐらいの気楽さがあっても良いよなとは、個人的には考えてしまうのです。

現実的に、どのような休養を取るべきなのか。

どの段階まで自分の限界が来たら、休養計画を実行すべきなのか。

ここから先は

2,193字

¥ 150

いつも温かいサポートありがとうございます。メッセージも読ませてもらっています。僕はこの場所が「近所の寄り合い所」みたいになってくれたらすごく嬉しくて。あなたの声が聞けて嬉しいです。これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。