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コロッケの匂いが染みついた言葉

昔話になってしまうのですが、僕が小学校の五年生とか、いわゆる、高学年になった時に、あまりにも成績が悪いことを親に危惧されたことがありました。それで、「あんまり勉強ができない子が通える塾」を近所で見つけ出して、週に何回か、その塾で勉強を教えてもらうことになったのです。

その塾は古い二階建てアパートの二階の部分にあって、一階部分にお弁当屋さんがありました。そのお弁当屋さんの横にある階段を上がっていくと、二階部分が塾になっているようなところでした。

立派な教室があるわけではなくて、完全に「住居用の物件の一部屋」を塾として使用しているようなところで、木造の壁には一階のお弁当屋さんで揚げているコロッケなどの油物の匂いが染みついていて、色々な意味で、生活感の匂いに溢れている場所だったことを覚えています。

その塾は「ギリギリ、まだおじいちゃんとおばあちゃんではないけど、あと数年後にはその段階に立派に差し掛かる雰囲気」をお持ちのご夫婦が運営していて、たしか、お父さんの方が国語と社会、そして、お母さんの方が数学と理科を担当されていて、交代でそれぞれの教科を教えてくれていました。

講師のご夫婦は「緑のたぬき」と「赤いきつね」が大好物なのか、教室から丸見えの控室に「緑のたぬき」と「赤いきつね」が常に山積みにされており、教科が変わるたびに、お父さん先生が緑のたぬきの封を開けて、ポットのお湯を注ぎ、「ズ、ズルズル、ズルズル、プハー、あー、うまい」という声が教室に響き渡っていました。お母さん先生の方も、自分の授業のあとに赤いきつねをずっと「ズルズル、ズルズル」と食べ続けていて、その光景が春から冬まで、一年中続いていたので、その塾の代表的な心象風景として残り続けています。

これもどこかで書いた話になってしまうかも知れませんが、いよいよ、僕も小学校を卒業するにあたって、成績的にはまったく効果が上がらなかったこの塾を卒業することになって、最後の授業に行くことになりました。

最後だったからか、普段はスウェットなどのラフな格好で教えていたお父さん先生も、その日ばかりはネクタイなんかしちゃって、その上にセーターを着て、最後の挨拶をしてくださいました。

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