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友達と仲良くなる機会を逃してしまった

今回の相談者の方は、幼い頃からの地元のお友だちがいないそうです。ふむふむ。

この相談者の方が子どもの頃、「友達」との付き合いという部分において、いわゆる「目立つ一軍」と言われる人たちに憧れて、その中に入りたくて無理をした結果、グループに入れたそうなのですが、生きづらかったそうなのです。

その結果、本来気が合うはずだったであろう友だちとは、もう仲良くなる機会を逃してしまった。そんな経験が小学校から高校まで続いたそうです。なるほど、「一軍グループ」に頑張って入って、そこで頑張って振る舞ってきたことも「すごいこと」だとも感じてしまったのですが、話を先に進めましょうね。

相談者の方は、過去、無理して付き合った友達とは、今や誰一人連絡をとっていないそうで、結局、どの友人にも本音を出せず、失礼なことをしていたのではないかと思ってしまうそうです。

今はようやく、無理をしないことの大切さに気がついて、少し楽になったそうです。それは本当に良かったですね。でも、SNSなどで自分以外の昔の友人が仲良く会い続けている様子などを見かけると、とても虚しい気持ちになってしまうとのこと。

今、公園でよく会うおじいさんや、幼い子供など、取り繕う必要のない相手と、素朴な会話がすることが落ち着くそうです。

ただ、「何か友情に関して大切な経験をし損ねてしまったのではないか」と、不安になってしまうそうで、今回のお手紙をくださいました。

それでは、今回のお手紙から取り上げたいのは、「友達と仲良くなる機会を逃してしまった」についてです。

今回のお手紙、読みながらすごく「うーん」と色々と考えました。

今の時代、「友達問題」というものは改めて、どの年齢層の人にとっても「大きなもの」になっていたりしますよね。

ただ、「友達」の定義って、人によって本当に、全然違ったものになっていったりもします。

また、「10代まで、私にとって友達とは『いつも一緒にいて、なんでも話し合う!』みたいな関係性を表していたけど、今、20代になって、友達に求めるものが変わってきた。ぶっちゃけ、いつもは一緒にいなくても良い」など、同じ人でも、年齢によって「友達」に関する定義が変わっていくこともあります。

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