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幸せの握り方

過去、人生に行き詰ってしまった時、自分の中でひらめいた造語がありまして、それが「チャンスは逃(の)がせ」だったのです。

この「チャンスは逃がせ」は、今でも僕の中で座右の銘になっているぐらいに大事にしている言葉なのですが、その言葉というか、感覚について書かせてください。

昔話になってしまうのですが、僕は自分の10代の頃に抱いていた人生の目標が「とにかく幸せになること」だったのです。

当時の僕の幸せの定義は

  • 自他ともに認められる結果を出すこと(←自己満足ではなく)

  • 良い人間関係に恵まれて、色々なことを話し合えること

  • 誰かに足を引っ張られても、それに負けない心を持つこと

など、たしか、そういうことだったのです。

そして、自分の人生史になってしまうところもあるから、過程は省略するんですけど、20代の前半で「やっと望んできた色々な結果が手に入った!」と感じられる瞬間があって、人生の中で初めてと言っても良いぐらいの「幸せの絶頂期」みたいなものが訪れたのです。

でも、「幸せ」というものはおそらく、「取り扱い注意」の部分もあったりするわけで、その取り扱いが上手い人と、あんまり上手くない人で分かれてきてしまうものだと思うのです。

ほら、「お金の使い方が上手い人は、お金を使っても、それ以上のお金がまた返ってくる」とか、そういう話があったりするわけじゃないですか。

幸せも多分そうで、扱い方が上手い人が扱うと、幸せも多分、夜中に自分の村に帰って、「あの人、すごく扱い方上手いよ!みんなも行ってみようよ!」と声を掛けてくれたりすると思うのです。

でも、当時の僕は、その「幸せ」の扱い方が全然わからなかったし、何かを手に入れた瞬間に、「こんな色々な良い環境や良い条件は、自分から離れていくに違いない」みたいな、そういうネガティブな思考になったりもしました。

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