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コミュニケーションとコース料理は似ている

ちょっと私事で恐縮なのですが、以前あるお店に通っていたことがあったのです。日常的に使うようなサービス業のお店だったのですが、何回かそこに通っていて、「良いお店に巡り合ったな」と思っていたのですが、なんとなく途中で「あ、ストレスかな?」と感じ始めたことがあったのです。

それで、「あ、ストレスかな?」と感じ始めている時って、自分ではごまかそうとしているけど、確実にもうそれは「ストレス」なんですよ。「あ、風邪かな?」と感じた時にはすでにごまかしようがなく風邪を引いているように、「あ、ストレスかな」と感じた時は、すでにもう自分が十分に「ストレスを受けている状態」になっている。

でも、「ストレスを受けている」とか「自分にとってストレスになっている」と認めることって、すごく勇気がいる場合があります。これを読んでいる皆さんにもあるかも知れないのですが、友達とか親友が絶賛していたお店とか人に会ってみたけど、自分が会ってみたら「???」となってしまっているし、むしろ、長居をするとすごくストレスがかかっていく予感が出てきてしまったり。実際に僕も、占いという仕事をやっていたから、逆の立場で「あれ、あの人に会ってみたけどいまいちだったよ」とみなされたケースはたくさんあると思います。

それで、「ストレス」を認めるのは実はすごく大変という話なのですが、そこを直視するのはけっこうエネルギーがかかることだから、「勘違い」とか「考えすぎ」で済まそうとすることがあります。

「ストレスかも知れないけど、他に良いところもあるしな」とか「まぁ、こちらのコンディションが悪かっただけかも知れないし」とかですね。

改めて、なんで人がストレスを感じていることをごまかそうとするかというと、やっぱり人でもモノでもお店やサービスなんかでも、「そこにたどり着くまでの色々な苦労」があるわけじゃないですか。そして、ただ「悪い思い出」だけじゃなくて、良い思い出とか、お世話になったこともあるわけで、一瞬のストレスを感じたぐらいでバンバン距離を取ったり、縁を切っていたら、やっぱりそれはそれで話の筋が変わってきてしまう。

それでですね、僕は先日「あ、ストレスだこれ」と確信したのです。だからちょっとずつだけど、そのストレスの原因となっている人とは距離を取っていこうと思いました。

なんでこんな「私事」を書いたのかというと、「何がストレスだったんだろう?」と考えた時に、少し面白かったからなのです。今回はその話を聞いてもらいたいのです。

僕はけっこう頻繁にあるんですけど、「タクシーの運転手のおっさんがこちらに心を開き過ぎる問題」に遭遇するんです。なんかすごい身の上話をされたり、あと、「いや、さっきですね、すごい腹立つお客さん乗せちゃってね、聞いて下さいよ!」とか、けっこう大声で叫んだりする。それだけならまだしも、「あ、スイッチ入っちゃったな」みたいな感じで、ある種向こうが「憑依状態」みたいになって、とつとつと自分の過去の怒りとか切なさみたいなものを話し始める。何か、プライベートにおいても「対人関係とか、社交辞令の距離感」を相手が急に飛び越えてきてしまうことが個人的にはよくあるのです。

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