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「一つ前の方が良かった」について

いきなりこういう質問を投げかけたいのですが、皆様の中で、知り合いのお店とか人がいて、

「この人(及び、お店やサービス)は一つ前の段階の方が良かったよな」

と感じたことはありませんか?

これ、IT系でサービス運営なんかをやっている人にとってはすごく嫌な質問らしいのですが、リニューアルをした瞬間に「前のシステムの方が使いやすかった」と言われたり、あとはやっぱりお店なんかでも「なんか、前のお店の形態の方が良かったよな」と言われてしまうことなんかもよくあると思うのです。

これを書いている僕なんかも、やっぱりすごく言われてきました。実際に今、執筆の活動がメインになって、個人鑑定はできない状態です。そうすると、昔からの僕を知っているお客さんにとっては「なんだかさ、しいたけ.は今の立場になってからつまらなくなったよな」と言われるし、実際にそういう話を聞いたこともある。ただ、“当事者”の立場からすると、今の自分の進歩や、やりたいことに合わせて「今の自分の形態」を変革していかなければいけないし、一方で、「昔から大切にしている原点」も忘れてはいけないものだと考えています。

とにかく、「何かを変える」ということは、何かを削ることでもあるし、削った分だけしか「何かを新しく付け加えること」もできないわけだから、目の前にいるサービスの利用者の全員を満足させることはやっぱり原則的にはできない。「できない」という言葉に甘えてはいけないし、なんとかバランスを考えていくことは前提にしても、「みんなが喜ぶもの」に着地させていくことが正解なわけではないし。

今回このコラムで書きたいことは、それでも出てくる「この人やこのお店、そして、このサービスは“一つ前の方”が良かったよね」と言われる現象と、その背景にあるものなのです。

なんでこの「一つ前の方が良かったよね」の話にここまで惹きつけられるかというと、おそらく、そこには「魅力とは何か?」についての話が入ってくるから。

話を先に飛躍させていくと、僕はどこかで、人やモノやサービスというものは、安易に「自己実現」をしてしまうと、そのモノが持っている「固有の魅力」が失われてしまうんじゃないかと考えています。

どういうことなのか、順を追って説明していきますね。

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