強運の影の話

ちょっと「強運」というものについて書いておきたいことがあるのです。

タイトルの通り、「強運の影」についてなのですが、強運という現象にはもしかして裏側の話があるかも知れないのです。

今回はちょっと砕けた感じで書きたいのですが、僕も占いをやってきた人間ですし、それで、整体をやっている人とか、あと、武道をやっている方とか、そういう「不思議系の住人」との会話の中で、「すごく強い人」の話が出てくるのです。自分のお店とか、整体院とかに治療に来て下さる方で「あの人は強いよね」とか、そういう人の話。

ここで言う「強い人」というのは

・ある種の強靭な精神力を持ち
・少々のトラブルや、誰かからの理不尽に負けないで
・中には一家や職場を大黒柱として支えているような人

それで、そういう人は「強い人」だけど、話してみると強引な感じではなくて、むしろ世話好きで、すごく「良い人」という印象を受ける。実際に人柄も良くて良い人なんですよ。

でも、ここからが話の本題で、そういう人の周りにはなぜか「身近に弱っている人がいる」とか、そういう話がよく出てくるのです。

だから何か、ひとつの仮説なんだけど、「強い人というのは、バリアとか着ている鎧がすごく強くて、その人が受けるダメージについては、周りに流している」みたいな現象というのもあるんじゃないかって。強過ぎるも実は少し問題なのです。

もちろんですね、統計を取れば「強い人の周りに弱い人がいる構図」なんてたくさんあります。そして、この文章を読んで「あ、私は多分強い人で、私が強いせいで周りの人に迷惑を掛けているかも知れない」なんて思わないで下さい。これって、ちょっと茶飲み話じゃないんだけど、占いとかにある「雑談」みたいなことを今日はしたくて。

でも、僕が「運」というものに興味を持ったひとつのきっかけの話に、ある武道家の人が、古今東西の真剣勝負とか果し合いみたいな世界で、ずっと生き残った人の話を調査した方がいるみたいなのです。それこそ、昔だから、そこでは本当の「殺し合い」が行われるわけなんだけど、そこで負けなかった人っているみたいなのです。それで、そういう「人智を超えて強い人」の周りがけっこう不幸な目にあっている話が共通していたと。

これもね、考え方の角度として「うわー、こえー」となるんだけど、でも、一方で、そういう不幸な生い立ちとか環境があったから“強さ”を目指したとも言えるかも知れないし、そもそも、昔の時代って今の公衆衛生や医療制度が整備された先進国の環境に比べて「全員が健康で長生き」なんていうことはないわけだから、「その強い人の周りでは不幸が多かった」みたいなことを言っても、そのまま話を「すごい」として受け取るわけにもいかなかったりする。

でも、あえて言いますよ。

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