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動物スタイルの話。自分に勘をもたらす存在は何なのか

今回は昔話から始めたいのですが、僕がまだひとりひとり自分で予約をしてもらって個人鑑定をやっていたころに、地方に出張なんかも行っていたのです。

自分が住んでいる地域と違うところに住んでいる人はまたやっぱり全然違くて(大阪とか関西とかは、やっぱり東京と違って人のカラーが実際に違う)、それが刺激になってすごく面白かったのです。

それで、ある地方で、自分で商売をやっている経営者の人に会って面白かったんですけど、その人が地元のテレビの料理番組のゲストとして呼ばれたみたいなのです。それで、ある有名なレストランのシェフに作ってもらった料理が全然おいしくなかったんですって。笑 それで、司会者の人にコメントを求められて、自分のコメントを発する1秒ぐらいの間、ものすごく考えたそうなのです。

「ここで嘘をつくべきか」

って。

いや、こういうのってけっこう大事だと思うのです。

この人に関しても「テレビ出演」が本業なわけではないから、司会者の方から「どうですか?」と尋ねられた時に「おいしいですね」と言えば、それで「テレビ出演」で求められる役割を終えることができる。でも、その「みんながやっているような、大人の小さな嘘」を絶対に自分に許さないような人ってこの世にいるのです。

「そんなことぐらいみんなやっているよ」

で済むかも知れないけど、それをやってしまうと、自分の側から「神的なものがいなくなってしまうかも知れない」という感覚を覚える。

「自分がこれまでやってきた経営判断、そして、奇跡的に良い流れに乗ることができた。それはほとんど“自分の力”なんかではなくて、何か、自分のことを気に入って、見守っている“よくわからない力”のおかげ」

と、大きな声では言えないけど(それを普通に話してしまうと「あなたはそういう人なんですね」と引かれちゃうこともあるので)、なんとなく、自分がこれまでまとってきた「運の背景」を大事にしたい。そして、その「運の背景」とか「目に見えない力」は、自分が「気持ち悪い」とか「筋が通っていない」と思われることをやっていくと、減少していくか、見限られてしまう。

そういう、一種の「気持ち良いか」、「気持ち悪いか」の感覚を、時流に乗っている人はどこかで持っていたりするのです。

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