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100%フィーリング合う=最高の関係ではないことについて

今回はどうしても「気が合う」、「気が合わない」の話をしたくて、多少文章がいつもより長くなります。

まずはじめに、人同士には必ずお互いの好き嫌いがあったり、「気が合う/合わない」という現象が起きてきます。でも、実は僕は「気が合わないの方」が「気が合う」よりもシンプルでイージーであることが多いんじゃないかと考えているのです。そう、人との間は「気が合う」と感じた方に実は注意が必要だったりする。

というのは、「気が合わない」のはけっこう事実としてシンプルで、お互いにまぁまぁ諦めがついたりもする。「あ、この人とはおそらく気が合わない。距離を気を付けよう」って。そういう場合、相手がよっぽど変な人じゃない限り、丁寧な礼儀作法に徹すれば、それ以上の距離は詰められてこないし、相手の方もこちらのことを「気が合わなそうだな」と感じているから、それ以上の接近がなかったりします。人間社会って「色々な動物が生息しているサバンナ」みたいな感じもあって、「あのライオンのテリトリーは浸食しちゃいけないな」というのがあったりする。

「気が合わない」という現象も色々あるけど、今回はやはり「気が合うことの怖さ」についての話をしたいのです。

「気が合う」って、ポジティブなようでいて、実はそこに多くの罠も含まれていたりする。

たとえばなんですけど、SNSとかやっていて、自分の投稿に対してそこまでまだ親しいわけじゃない人に3回ぐらい連続で書き込まれたりすると、やっぱりちょっと「???」となったりするじゃないですか。もちろん、「ファン」という立場だったらわかるのだけど、一方的に距離を詰められてしまうと、やっぱりそれはちょっとザワザワしたものが出てきてしまうこともあったりする。

大人になってからの人間関係において、それが好意であったとしても、自分の100%を相手にぶつけないのって、かなり大事な礼儀になってくると思います。

一緒に仕事を一緒にしていく人とか、相談に乗ったり、意見をぶつけ合うような関係になる人同士というのは、100%気が合うよりも、気が合うのがせいぜい80%ぐらいなのがベストな気がします。

むしろ、人間関係において「価値観や得意分野が異なる」のはとてもありがたいことでもあって、20%分ぐらい、自分とは決定的に価値観とか、性格なんかは違っていた方が良かったりもする。というのは、全員が自分と同じタイプだと、発展がまったくないし、役割分担ができないのです。たまに、お互いが「痛いところつきやがって。けっ」と思っても、痛い指摘をしてくれたり、その人にしかできない得意分野をやってくれた方が、仕事などに関しては発展する。

これは思いっきり私見になるし、今から僕が言う意見に対して無理に賛同をしていただけなくて良いのですが

「良い人間関係は、100%のフィーリングの合致なんてない方が良い。一瞬はピッタリ合うものがあったとしても、少しの寂しさがあった方が良い関係になれたりする」

と僕なんかは思ってしまうのです。

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