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やさしさの麻薬性と、その分量の取り扱いについて

皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

それで、新年早々、いきなり過激なタイトルなのですが、お正月に「やさしさの分量」についてすごく深く考える機会があったのです。今回、ちょっと「やさしさ」について踏み込んで書いていきます。

まず僕は個人的に、やさしさにはかなりの「麻薬性」があると考えています。どういうことなのかというと、やさしさというのは、「やさしさを与える側」、つまり、「やってあげる側」とか「助けようとする側」にかなりの気持ち良さをもたらすものでもあるから。

・あなたのおかげで助かった。本当にありがとう

・こんなアイデアがあったのか。すごい。なんとかなりそう。あなたのモノを見る角度はすごいね。助かったよ

・今回は本当にありがとうございました

・あなたみたいな人がいてくれて、本当に嬉しいです

とか。

これは「やさしさをもらった立場の人」なり、「助けてもらった人」が相手に対して抱く感情であり、そして、お礼です。真摯な態度でお礼を言われた時、人は自分に自信を持つことができます。そして、自分の能力を確認することができるし、何よりも、「役に立つ人間」とか「ありがたがられる人間」になったり、「誰かを助けたことによって、一緒に問題を解決した」というスッキリ感は、何物にも代えられないぐらいの「快感」を持ってくる。

誰かにやさしくする。

それは本当に素晴らしいことだし、自分のことだけを考えて、周りの損害を見て見ぬふりをする人より、「やさしい人」は世の中の宝とも言える。

でも一方で、我々はこんなことも知っています。

「誰かに対してやさしい人は、どんどん疲弊していく。損をしていく。追い詰められて、誰を恨んで良いのかわからなくなる」

ということも。

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