少し距離がある人の死との向き合い方
今回のお手紙から取り上げたいのが「少し距離がある人の死との向き合い方」の話なのです。
僕が好きな作家の、それこそ一番好きな作品の始まり方が「昔はそれなりに深く関わったけど、今はほとんど連絡も取らなくなった知人」のお葬式の場面から始まるのです。夏の暑い日に昔の知人のお葬式に顔を出し、帰ってくると先日離婚を済ませた元奥さんが忘れ物の荷物をお家に取りに来る話。考えてみたら、ダブルで「喪失」から始まる物語だったのです。
その作品を読んで10年以上時間が経ったのですが、人間関係と喪失はセットだよなぁと思ってしまうことがあります。
ちょっと極端な僕自身の考えを言って良いですか?
最近、「全ての人間関係は消化不良なんじゃないか」と感じることが多いのです。
このお手紙をくださった方にはすごく共感したのですが、僕は自分の人生の中にも死別した人がいますし、いつの間にか連絡を取らなくなった人もいるし、ある時に仲違いをした人達もけっこうたくさんいます。
ただ、けっこう変な話なのですが、「もう自分の人生の中で会えなくなった人達」を“死者”とするならば、僕にとってみたら「今自分が向き合っている人達よりも、もう会えなくなった“死者”との間の方が濃い人間関係を送っていること」も多かったりするのです。
「もう会えなくなった人」の方が、今自分がこの人生の中で苦労していることや、頑張っていきたいこと、そして、これからやっていきたいことなどを心の内側で真摯に報告できたりするから。
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