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いつも二番手になってしまう

「『やっときたチャンス!なのに…』いつも主役の座が巡ってくるとうまく行かないんです」から今回の相談文は始まりまして、いわゆる、「主役の座につきたくてもつけない」が相談のテーマとしてありました。

この相談者の方は仕事では執行役員や本部長の手伝い的なことをしているそうです。そんな働きを認められ、やっとプロジェクトを任され、「やりたいことやれる!」と思ったら周りに足を引っ張られ、まったくうまく行かずにプロジェクトは半分遅延になってしまったそうです。

幼い頃から2番手役が多くなってしまっているそうで、生徒会は副会長、部活動は副部長などになってしまってきたと。ふむふむ。「みんなみたいに私もスポットライトを浴びて輝きたい。楽しくて夢中になって寝る間も惜しいような、燃える毎日を送りたい」。そして最後に、「こんなにつまらないのなら、どこかの山に籠って自給自足で生活したいくらいです」と書いてあって、このお手紙は締めくくられていました。

今回のお手紙から取り上げたいのが「いつも二番手になってしまう」の話なのです。

先日ですね、以前番組で共演させていただいたことがある、フリーアナウンサーの大橋未歩さんが『マツコ会議』に出ていて、録画したものを見たのです。内容がとても素晴らしかったのですが、マツコさんが大橋さんに対して「何かを得る時には、それ以上の何かを失っているもの」みたいなことをお話ししていて、そこに対して僕もすごく共感してしまったのです。詳しくはhuluやTVerなどにまだその回が残っているかも知れないので、ご覧になってもらえたら嬉しいです。

お手紙を拝見してですね、「あと少しで一番になられたのに」とか、あと、二番手で甘んじなければいけなかった悔しさとか、そういう「炎のような感情」がものすごく伝わってきました。小さい頃からだったら、余計ですよね。

ただ、このことに関しては、やっぱり僕なりの感覚もあったりします。

僕が占い師として「欲しいものを手に入れてきた人」とか「表舞台に一番に立ってきた人」と会った時に、「何かを手に入れてきた人には妙な空虚感がある」みたいに感じたのも事実としてあります。

これはですね、別に、「どの人もつらいんですよ」とか「キラキラ輝いている世界にいそうな人も、それなりの何かは背負っていますよ」みたいな、なんかそういう「諭す」みたいなことをしたいわけでは全然ないです。そういうのって、あんまり話としても面白くないじゃないですか。笑

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