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ちょうど良い、「自分好き」について

昔のバイト先によく一緒にバイトのシフトに入って働いたり、プライベートでも遊んでいた後輩がいたんですよ。それで、その後輩はプレッシャーとか緊張した状態にすごく弱くて、いつも「お腹痛い。早く帰りたい」を口癖にしていたのです。基本的に、どんなに仕事が忙しい状況の時にも「ここを頑張りましょう!」とか「乗り切りましょう!」などの前向きな台詞は一度も口から発したことはなく、「あー、お腹痛い」とか「あー、帰りたい」とネガティブな台詞を連呼していました。

その後輩のネガティブな台詞は、不思議なことに周りの温度とか士気を下げないんです。それよりも、周りにあるピーンと張り詰めた空気が、彼の「ひー。もう帰りたい」という台詞を聞くことで、なんとなく和やかなものになる。そういう不思議な力を持っていました。ネガティブな台詞を吐きながらも、淡々と仕事をこなしていて(早く帰りたいから)、周りの誰にも「前向きさ」を強要しない彼の信頼度はすごいものが当時あったのです。

なんでこんなことを思い出したのかというと、最近、「ちょうど良い“自分好き”ってどういうことなのかな」と考えることが多くなったのです。

ちょっと真面目な話に聞こえたら申し訳ないのですが、今の時代に生きる我々が「自分を好きになる」のってけっこう難しい課題にもなっちゃっているじゃないですか。「自己肯定感」という専門用語がもうすでに一般的に広く扱われる言葉になっているし、あと、世の中で色々な人が「もっと自分を好きになろう!」とメッセージを発しています。

ただですね、僕は「もっと自分を好きになろう!」と言っている人自身が、「自分のことが好きなのか?」とどうしても疑問に感じてしまうところがあるんです。

これは僕自身が持っている変な癖なのですが、僕は「その人が何の言葉を喋っているか」よりも、「その喋っている言葉の温度感や湯加減みたいなものがどれぐらいなのか」を重視してしまう癖があります。

たとえば、占いの現場で、「私は本当にこれまで色々ありました!とにかく、今日から心を入れ替えて頑張ります!」とおっしゃる方がいたら、「いや、頑張らないで下さい」と言っちゃってたんです。

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