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「自分のやりたいことでご飯を食べていく」。校庭の石を拾うという行為について


以前ほぼ日の特別企画で、糸井重里さんと対談させて頂いたことがありました。

その時の様子↓

しいたけ.
それで、時間はたくさんあったから、よく考え事をしていたんですけど、そのとき「体力もない、何の才能もない、何も持ってない自分が、100メートル走で一番いい結果を出すにはどうすればいいか?」ということを熱心に考えていたんですね。
で、何も持ってない自分が「ああ、自分のやりかたはこれだ」と思えた答えって「校庭の石を拾うこと」だったんです。

糸井
はぁー。

しいたけ.
自分の体を鍛えても、走るテクニックを習っても、タイムは多少速くなるだろうけど、たかが知れてる。だけど校庭にある石を拾ったら、自分も走りやすくなってタイムが縮まるし、みんなも走りやすくなって「あいつ、いいやつだ」となる気がしたんです。
さらにそのこと自体をぼくが楽しそうにやってれば、「よくわかんないけどおもしろそうだから手伝ってやろう」みたいな人も出てくるんじゃないかと。そんなふうに考えたことが、今でも自分の原点になっているんですね。

糸井
へぇー。なるほどね。

この部分、僕の中ですごく好きなところで。

■ 好きなことをして食べていくという世間的な風潮

今の世の中っていよいよ大々的に「自分の好きなことをして食べていく」という時代のキャンペーンが始まってきている気がするのです。
その風潮とか、世界観に対して僕なりの批判って一切ありません。

ただ、その中で自己PRが上手い人もいるでしょうし、自分がやってきたことが国境を超えて喜ばれる奇跡も起こるかも知れない。でも、どこか、僕は「自己表現」というものって、半分はPRをしなければいけない。でも、残りの半分は「愚直」でも良いんじゃないかと思っているところがあるのです。

僕が過去、自分の技術でご飯を食べていこうと決めてやったことが、上の対談でもあるような「校庭の石を拾う」という行為でした。もちろん、これは比喩です。

でも、その時僕が占いでご飯を食べていこうと思った時に、どうしても、「では大々的に自分の存在をSNSで宣伝しよう」とは正直思わなかったのです。
どうしてか。

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