生きる力を貸してきてくれた作品やキャラクターたち
先日、知り合いのお家にお邪魔する機会があったのですが、その知り合いのお部屋の本棚に漫画の『鬼滅の刃』が全巻並んでいて、僕の中で時間が止まりました。「『鬼滅』、あるの?」と思って。
もうですね、『鬼滅の刃』と『進撃の巨人』については、何年も前から「ひとり情報統制」みたいなことをしておりまして、この二つの作品に関しては、僕はNetflixで見ているのです。だから、二つの作品とも、最終回を迎えていると思うのですが、徹底的に、Netflix版の進行スピードに合わせて、先の展開が入ってこないようにしていたのです。
この度、『進撃の巨人』はめでたく最終話まで観ました。本当に素晴らしかった。もう少し経ったら、二周目を視聴していきたいです。
そして、『鬼滅の刃』については、やっと忙しい日々が落ち着いてきて、この間「刀鍛冶の里編」を見始めました。どうなっていくか、非常に楽しみです。
そういう経緯があって、知り合いの本棚の『鬼滅の刃』があって、もうすでに、序盤のあたりを読み直していたのですが(まだ映像で視聴していない部分は読まないように、細心の注意を払いながら)、ふと気づいたことがあったのです。
それは、
「自分が大人になって、いつの間にか、自分以外のキャラクターになりきることが少なくなった」
と感じたのです。
どういうことなのでしょうか。
今から話すことに共感してもらえたら、とても嬉しいのですが、年齢が若い時って、常に自分の頭の中や心の中に、「憧れの人や憧れのキャラクター」がいた気がするのです。
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