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希望と期待の扱い方

最近すごく考えていることがあって、それは、「希望」とか、あと、「期待」という力の使い方についてなのです。

これですね、いきなり、僕自身の暗部を晒させてくださいね。僕は18歳から自分で日記を書いている人間なのですが、10代20代の自分の日記の記述を読むと、「他人に期待をするな」、「安易に希望を抱くな」とばかり書いている時期があったのです。

僕自身、10代とか20代の時というのは、他人が自分に対して本気で向き合ってくれているのか、それとも、社交辞令で向き合っていてくれているのかの差が全然わからないところがあって、恥ずかしいのですが、少しやさしくされただけで相手に期待してしまうような場面が多くありました。

「この人、絶対に俺のことを気に入ってくれている!」と感じた相手とのコミュニケーションは、あとから「120%の社交辞令であったこと」がわかったりもして、その結果、夜、日記に「他人に期待をするな」と、150回目ぐらいの忠告を自分に出していたりしたわけですね。

希望や期待って、どのように抱けば良いのか。どのような扱い方をしたら、その希望や期待が、失望や絶望、そして、怒りに変わらないで済むことができるのか。

僕自身、自分の人生を生きていく傍ら、上手くいっている他人がどのようなやり方で「希望や期待を扱っているのか」をちゃんと見ようと考えました。

早速、そのことについて触れていくと、自分の人生をまぁまぁ上手く作り上げている人って、傍目(はため)で見ていても、「希望と期待の使い方がうまいなぁ」と感じることが多いのです。

具体的にいうと、まぁまぁ上手くいっている人生を歩んでいる人は、希望や期待に対して、自分なりに得意な距離感、そして、位置の感覚をちゃんと持っている。

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