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「私が悪かったんです」と言って話を収めることが、有害にもなり得てしまう話

ネットで書いてあったことか、もしくは、昔読んでいた本の中に書かれていたものなのかはド忘れしてしまったのですが、ある精神科医の人がこういうシチュエーションについて説明していたのです。

ある子どもが、けっこうな悪いことを何回もやってしまって、学校に親が呼び出された。重苦しい空気の中、学校に呼び出されたその親御さんが「全部私が悪いんです。私の育て方が悪かったんです!」と泣き出してしまった。

なんか、こういうシーンってありそうじゃないですか。

でも、このシーンについての、ある精神科医の先生が下した判断がけっこう衝撃的で、「そうやって“私が悪かったんです”と言って話を終わらそうとするのは、正直、すごく悪い収め方なんです」と言っていたんですね。

けっこうですね、この話が僕の中で強烈に残っていて、確か、その精神科医の先生は「親が、自分かわいさのためにそういうことを言ってしまって、結局その“親御さんがその場で反省しているから”という理由で、それ以上子どもに理由などを追求できなくなってしまう」みたいな理由を話していた感じがあります。ただ、手元にその資料がないから、細かいところは違うかも知れません。

繰り返しになるのですが、この話がずっと僕の頭の中にずっと引っかかって、残っているんです。「なんでだろう?」って。

というのは、上に書いてきたような例って、まぁまぁ「よくあるシーン」じゃないですか。「私が悪いんです」と言って、なんでしょう、子どもの咎みたいなものを、親が肩代わりをして、それで済まそうとするようなシーン。

実際、多分何か子どもが悪いことをして、親がバーンと入ってきて、「私が悪かったんです!」と言ったら、けっこうそこからまた「いや、でもね」と言うのって、「言う方が鬼」みたいな空気も生まれちゃうわけじゃないですか。すごく言い方は悪いけど、「私が悪かったんです!」って、ちょっと伝家の宝刀的な威力もありますよね。それを出すことによって、「それ以上に追求するのはちょっと」みたいな空気が生まれやすい。

だから、一応、それで収まっちゃう。でも、根本的なことは何一つ解決されていない。

僕の母親もけっこうこのタイプで、「悪いことが起きてしまったのはしょうがない。でも、今日もみんなでそろって笑顔で夕ご飯を食べよう」みたいな感じで、「みんなで食べる夕ご飯万能説」みたいなものを持っていましたし、今でも多分持っていると思います。

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