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その場だけのために「やるつもりがないこと」を言うと、言葉と共にあったものが腐ってしまう

もうかなり昔の話になってしまうのですが、学生時代にバイトをしていた先に「あ、僕○○さんと知り合いだから紹介しますよ」と言ってくれる年下の男の子がいたんです。

たとえば、好きなミュージシャンのチケットが取れるかなぁとバイト先の控え室で誰かが話していたとしたら、「あ、良かったら芸能系に詳しい人いるんで関係者紹介するよ」と間髪入れずに言ってくるようなことなんかもあった。その場にいた全員、心の中で「なんで名も無き大学生に芸能関係者がチケットの件で融通利かせてくれるんだよ」と彼に対して突っ込んでいたりしました。

「紹介しますよ」と言っていた彼が、誰かに対して誰かを紹介していた実績はなかったです。あれから長い年月が経って、自分が大人になってからも「紹介しますよ」と言ってくれる人は多くいたりして、そのたびに少し懐かしい気持ちになります。

その彼が「紹介しますよ」と言ってくれている時、誰かに対して一度もちゃんと目を見て言ってなかった記憶があるのです。彼自身もその言葉を使う時に「空虚感」のようなものを感じていたかも知れないし、流れ作業みたいな感じで、反射みたいな形でその台詞を使っていた。彼は意識していなかったかも知れないけど、彼が「紹介しますよ」と言ったおかげで、「シーン」という空虚感がその場に広がってしまって、正直、何回も「やるつもりがない台詞なんて言わなきゃ良いのにな」と思ったし、あと、直接言っちゃったことがありました。

すみません、古い昔の思い出を話してしまって。

また話が飛んでしまうのですが、僕が占いというものを勉強する前から、なんとなく「心の中のチンパンジーとの約束」みたいなものを持っていたのです。そのチンパンジーとの約束のひとつに「できないことは、言わない」があるのです。

前からこのコラムなんかで、僕が「心の中にチンパンジーがいる」みたいな話はしてきていると思うのですが、僕は自分のやりたいことや、やるべきことは「心の中のチンパンジー」と相談して決めていっているところがあります。今になっても、たとえばすごく極端なことを言ってしまうと、「これをやると儲かる」みたいな話があったとしても、心の中のチンパンジーが「あー、そういうのはやる気でないよね。却下だね」と言ったら、先方にお断りの返事を出します。

占いというものを知る前から、僕自身は心の中のチンパンジーと対話をして「運の風向き」に乗ってきた実感があるのです。

それで、冒頭に話してきた、まぁもう、ハッキリ言ってしまうと「自分が見栄を張るための『紹介しますよ』的な話」は、チンパンジー的にはやっぱり無しなのです。

たとえばですね、自分自身が「今は誰に対しても誰も紹介できないけど、いつかすごく色々な人と知り合うネットワーカーになる!」みたいな決意はですね、これはもう全然ありだし、むしろ、素晴らしい決意です。でも、今の自分に手持ちのカードがなくて、それをあるように見せかけて、「できない約束をしようとする」。これって何か、僕自身の価値観の中では想像以上に「恐ろしいことだ」と感じてしまう。

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