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期待と落胆の波を感じたら

2021年をここまで過ごしてきて、すごいですね。激動ですね。

今日はちょっとこういう話をしたいのですが、人は「怒り」という力を持っています。

最近、人が持つ「怒り」って、「何もできない自分から出てくる虚しさ」に対する、ひとつの対抗姿勢とか宣言みたいなものじゃないかと考えたのです。

順を追って説明したいのですが、人って色々な場面とか、環境とか、誰かの言動とか、自分の態度とかやってしまったこととかも含めて、色々なところで「傷つく」体験をします。傷つくには、傷つく“元”とか“原因”みたいなものがある。その傷つく元の大きなひとつに、「自分は何もできない」というものがけっこう大きくあるんじゃないか。

「自分は何もできない」

これ、けっこう「傷」の種類としては大きなランクに入ってくると思います。

というのは、自分が抱える痛みって、けっこう自分でなんとかなってしまうこともある。だって、自分の人生に関することだから、そこに関しては、良くも悪くも、誰かに代わってもらうことはできない。

もちろん、その厳粛な事実を時々受け止めることはすごくキツいこともあります。でも、状況が変わった時に、「まぁでも、自分のことだしなぁ」と言って切り替えられちゃう強さに関しても、人は持っていたりする。

でも、先ほどから言ってきているように、「傷つく」ことって、「自分のこと以外」についてもけっこうあったりします。自分と同じぐらい、そういうケースはある。

ただ、「自分のこと以外でのダメージ」については、その処理の仕方、対処の仕方、どこまで関与して良いのかとか、そういうことを決めるのは結構デリケートだったりします。「どうして良いのかわからない」。それでさらに傷ついてしまうケースもあるわけだから。

今回、このコラムではその「傷」について扱っています。今、知らず知らずのうちにで多くの人が傷ついている。「私は大丈夫」なんて言える人はほとんどいないんじゃないか。同時多発的に、多くの人が傷を負っている。

それで、以下の文章が当てはまるかどうかを見てもらいたいのです。

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