ある種の人達が「目標」という言葉をすごく苦手に感じる理由
何か個人的に「異様な目標嫌い」みたいなものがあったりするんです。「今年やっていきたいことは何か?」とか「今後、どういうふうになっていたい?」と聞かれるのがとても苦手。それに対する答えが「おいしいカレーを作ってみたい」とかになるんです。それも立派な目標なんだけど。
だからかも知れないのですが、昔に、あるところで「やりたいことを100個書いてみましょう」と言われたことがあって、その場で席を立って急いで逃げてしまいました。「いや、書けば良いじゃん」という話なんだけど、僕の中で「自分の性質と合わない何かをやってしまうと、もうそこで欠損してしまった何かは今後の人生で取り返しがつかない」ぐらいの感じで、すさまじい恐怖感を覚えてしまう。ものすごいネガティブな始まりでごめんなさい。
それで、自分の「目標嫌い」についてなんとなく理由が最近わかってきていて、一番大きな理由として、「目標」という言葉からイメージされるものは、人によって大きく異なることに気がつきました。
目標には、異なる二つの大きなイメージがある
僕が苦手な「目標」のひとつのイメージが、夢とか理想なんです。つまり、「将来どういう形になっていきたい?」とか、もっとすごくストレートに言うと「年収はどれぐらいを目指す?」とか。「どういう家に住みたい?」とか。こういう「目標」に対して、自分自身が本当に恐ろしいぐらいに興味がないんです。理想の家とか、「できればトイレは洋式が良いです」とか、それぐらい。
でも、僕が普段から大事にしていて、好きな形の「目標」のイメージは課題とか、問題の整理整頓だったりする。たとえば、「今の占いの執筆も大事だけど、今年はもうちょっと人と会っていきたい」とか。
自分の「やりたいこと」の方ではなくて、「これからも自分が責任を持って“やらなければいけないこと”」の方が、すごくイメージを持ちやすいし、そこに対しては長時間取り組んでいても苦にならない。
こういう、「自分自身の未来の、具体的なイメージを立てられない人」というのは、占いをやっていてもよく出会ってきました。不思議なことに、プライベートの自分の「夢」とか「理想」は立てられないけど、そういう人は逆に仕事上においては「この演出については、細かいところで申し訳ないけど、こういう形にしないと絶対にダメ」とか、そういう注文が多い。自分のプライベートの願望についてはイメージできないけど、受注した仕事のイメージはかなり細かくしていくタイプ。
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