願い事の伝え方
今回のコラムは私、しいたけ.個人の勝手な見解であり、かなり偏見さと偏屈さに満ちている内容になると思われます。先に謝らせてください。ごめんなさい。
そこまで過激なことを書くつもりはないのですが、新年のこの時期、「抱負」という言葉が出てきますでしょう?個人的に、妙に抱負を「苦手」と感じてしまうところがあるのです。
「今年の抱負は?」
と聞かれるのもなんか苦手ですし、自分ひとりで「よーし、新しい年になったことだし、今年の抱負を考えよう」みたいになったことも、実はないのです。何か、「抱負」というものが目の前に出てきただけで、「あ、大丈夫です」と断りたくなるような感覚が昔からありました。
「抱負だって一生懸命生きてるんだよ!?」
とか
「これを読んでくださっている人の中には、もう今年の抱負を決めて発表した人もいる。そいう人達に対して失礼だと思わないのか?」
と言われたら、「はい、その通りです。ごめんなさい」と言うしかないですし、本当に「抱負」には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、ここはもう、ハッキリ言いたいと思います。
しつこいけど、これは僕の勝手な感覚であると断らせてもらった上で、「抱負」って、ちょっと「キラキラ感」ないですか?
なんていうか、新年が明けて、それで、「新しい目標を立てましょう」みたいな感じで、それで真っ白な紙を渡されて、それに対して「表に出せる目標ややりたいことを書く」みたいな感じがけっこうしちゃうのです。
それは別に悪いことでは全然なくて、単に、僕個人として「苦手」なだけなのです。
つまり何が言いたいのかというと、僕にとって「目標」とか「やりたいこと」は、「抱負」ではないのです。
それよりも、もっと「執念」なのです。
確かに、1月1日には新年が明けて、その新しい空気と共に、「改めて、今年をどういう年にしたいか」を考えていくことは大事な面もあります。
それに、少し前のコラムでも書かせてもらったのですが、僕は今年、「日常の色々なことを、業務にし過ぎない。もっと、小さな楽しみなどを大切に育てていく」という、自分なりの「願い」が初めて生まれたりもしました。
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