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真面目な話し合いを華麗にスルーしようとする人

今回書くコラムは、正直、僕自身の中でまだ全然明確な着地点というか、「こういうケースに関しては、こういう収めどころを目指した方が良いんじゃないか」みたいな、ハッキリとした自分の答えが見出せていない問題なのです。

でも、こういう問題を抱えている方もけっこう多いような気がして、未解決な部分はあるのだけど、書いていきたいと思います。

まず、こういう話からしたいのですけど、10代とか20代、そして、30代もそうだけど、それぐらいの年齢の時って、友達にしろ、恋愛にしろ、パートナー的に深い関係になるにする人にしろ、「相手に求めるもの」を内輪で話し合ったりしませんでしたか?

決めつけるわけではないけど、10代とか20代などの、若い年代の時は、「親密に付き合う相手に求めるもの」として、人それぞれにすごく個性豊かな答えが出てくるような気がしています。

たとえば、僕の場合は「とにかくパンチが効いている人」とか「とにかく面白い人」など、正直、自分が相手の中に「特別に光っているもの」を見出せれば、他にどんな欠点があろうと、「全然いいよ。だって、あなたのその輝きは、あなたにしか出せないものだから」と、恩着せがましいのですが、そうやって相手の個性を受け取っていた気がします。実際に、「ある種の面白さの輝き」を持った人と一緒にいる時間は楽しく、その人にしか見えない景色を色々共有できたりして、忘れがたい、特別な時間になりました。

でも、自分がそこからもうちょっと大人になってくると、「親密に付き合っていく相手に求めること」は、

「時に、お互いにとって不都合で触れたくない問題を取り扱うことも含めて、その都度、話し合うことができる人」

の一択になったのです。

「真面目なことも、話し合わなければいけない」って、正直、どの人にとっても苦手なものになると思います。

僕自身も、苦手ですし、逃げたくなる時もある。「すみません、どうしてもお話しなければいけないことがあります」とか、「この件について、話し合いたいから、日曜日の21時ぐらい、時間空けといて」と言われたら、正直、嫌じゃないですか。

ファンタジーみたいなことを言うと、できれば、不都合な話も避けて、みんなで笑い合っていたい。

でも、時には、真面目な話もしなければいけないこともある。そして、「話し合わなければいけないこと」や「真面目な話」というのは、それを切り出す側も、切り出される側も、両方、ダメージを負うことになるわけなのですよね。

話の出し手も、別に喜んでその話題を差し出すわけではなくて、「すげー面倒くせー。でも、これを共有しないと、前に進めないんだよな」と思って、勇気を出して切り出すのだから、それを受ける側も、ちゃんと「これはちょっと、他のことを差し置いても、ちゃんと話し合わなきゃな」となっていってほしい。

でも、現実問題として、そこには、「真面目な話し合いを面倒くさがって、相手が逃亡するケース」も起こったりするわけなのです。

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