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愚痴を聞くときの心得

今日は「運についてシリーズ」はちょっとお休みをして、最近思ったことを書きたいと思います。


今日は「愚痴を吐く時の心得」についてです。

僕はわりと「愚痴を吐く」という行為に対しては肯定的な見方を持っていて、ガス抜きのためにも必要だと思っていますし、適度な愚痴とか、適度な痛みを他人に対して公開することって、「なんかこの人かわいいな」という評価につながることもあったりします。

でも、世の中にはきちんと有害な愚痴も存在していて、それはすごく体感的なことなのですが「救いのない、その愚痴を聞いていると、自分の体の生気が吸い取られていくような愚痴」 ってあります。

もちろん、僕自身もこういう愚痴を言っているときってあると思うし、「そういう愚痴を吐く人はダメ」とは絶対に言いません。

でも、僕が占いなどで人の話をしているときに「ちょっとこの人は疲れてしまっているな」と思われる人って、話を聞いてくれそうな人の前で“堰(せき)を切ったかのように”ずっと「もうね、私ダメなの」とかそういう話をしてしまうことがあります。

これですね、聞いてもらいたいのですが、生きてれば生きてればある適度の傷とか疲れは背負っていくじゃないですか。そのたびに人は怒ったり、悲しんだり、またはそのタイミングが過ぎると喜んだりとか、そういう表情がある生活をしています。

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