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母の介護をしながら判断に迷ってしまう

今回の相談は、実家にいるお母様の介護のことでした。

相談者の一人暮らしのお母様が認知症になってしまったそうです。大変でしたね。この方も、ご兄弟の方も引き取れないために介護付きの高齢者住宅に入れる手続きをされたそうです。こういう「選択」と「決断」ひとつにとっても、本当に各家庭での数えきれないぐらいの葛藤とか、悩みとか、そういうのがあるんでしょうね。

実家にいたときのお母様は、コロナの状況もあって参加していたサークル活動などができなくなり、まわりのお友達はどんどん亡くなられてしまっていたそうです。それで、今回入ることになった高齢者住宅でもデイサービスなどはあるものの、お友達を作ることがなかなか難しくて、「つまらない、家に帰りたい」と電話をするたびに言われてしまうそう。

「私の判断は良かったのか」、「家に戻した方がよいのか」など、悩みは尽きず、これからのお母様との付き合い方なども含めて、ご助言頂けたらとのことでした。

今回のお手紙から取り上げたいのが「母の介護をしながら判断に迷ってしまう」の話なのです。

前にですね、コラムにも書いたんですけど、僕の母親に自宅に来てもらったことがあったんですよ。なかなか僕自身もバタバタしていて忙しくて、久しぶりに母親に再会する際に僕の家に来てもらうことになって、色々と話して帰る時間になって、マンションのエントランスまで送っていきました。

「じゃあね」と言ってマンションのエントランスから母親を見送ったのですが、その時にめちゃくちゃ寂しくなりまして。

僕にとって母親は「ただいま」の象徴だったんですよね。だから、外で何かあっても、変わらず母ちゃんが実家の方にいて、そこで一緒に暮らしていた時に「ただいま」と言って、色々なことがリセットされた感じがありました。大の大人がこんなことを書いて恥ずかしいけど、やっぱりそれは動かせない大事な話なんです。

だからですね、このお手紙を読んでやっぱり胸が締まったというか、「親を施設に入れる問題」は、本当にたくさん事案としてあるのでしょうけど、色々なドラマがあるのだと想像します。

色々と情緒的にあれこれ話すこともできるんですけど、僕がこういうお話で大事なのが「じゃあ、これならできるよ提案」だと思ったのです。

というのは、この相談者の方のお手紙を読んだ時に、ご自宅にお母様が戻られることは、もう正直難しいところもあるのかなと思ったのです。そして、電話で「つまらない、帰りたい」と言われるたびに「申し訳なさ」みたいなものが起きてしまうのもすごくわかります。

でも、人が生きているとこういう話以外に、「気持ちはわかるし、なんとかしてあげたいけど、それは難しい問題」は出てきちゃったりするんですよね。

たとえば、極端な例になっちゃうけど、「大好きな友達に『お金を貸して』と頼まれた」とか。

そういう「自分にとってクリティカルな問題で、その一線だけは踏み越えられない」みたいな話はあると思うのです。

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