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同じ空間を共有することの素晴らしさを改めて感じた2021年

今回は今年2021年最後のコラムなので、テーマを作らずに自由に喋っていきたいです。

いやぁ、終わりますね。2021年が。僕は12月25日ぐらいにだいたい仕事納めをして、そこから家の近所を散歩するなどをして年末気分を味わおうとしています。ただ、これを書いている12月29日になっても、なかなか例年通りに年末気分を味わうのが難しくて。これは皆さんの意見も聞きたいのですが、年末気分、あります?大晦日が過ぎて、お正月になればまた違うんですかね。

「なんで年末気分をあんまり味わえないんだろう?」

と考えた時に、理由を考えてみました。そしたら、やはり2021年も人と会う回数が激減したわけじゃないですか。それで、例年の年末というのは、やっと「人と会う儀式」から解放されていく日程になる。もちろん、楽しく人と会う場合もあれば、義務的に会う人間関係もあり、我慢をしなければいけない人との会合もある。そういうところから解放されていって、「今年も色々あったなぁ」と、ひとりで消化していく時間が年末の時間だったような気がします。

それで、この12月にちょこちょこと友人や知人に会う機会があったのですが、やはり人と会う刺激ってすごいよなと感じました。というのは、他人という存在は必ず、自分にとって「異質」な存在のわけじゃないですか。全部の感覚が一致するなんてあり得ないわけだから。だから、久しぶりにあった仲の良い友人なんかでも、話をしているうちに「そこは全然わかんねー」とか「こんな考え方があるんだ」とか「いや、そこは同意できない」とか、それが細かく色々あるんです。なんかほら、和菓子の餡はこしあん派か、つぶあん派かとかも色々あるわけじゃないですか。

だから、「人と会う」とか「人と会って話す」のだいご味のひとつに、「違和感の消化時間」があるよなと改めて思いました。「あの人なんであんなこと言ったんだろう」とか「あの意見は同じようでいて、ちょっと角度が違うな」とか。仲の良い人とか、感覚が似ている人に会っただけで、実はすごい、良い方の意味での違和感は残ったりする。誰かと会った後は、その人と会った時間も、帰りの電車の時間も楽しい。もちろん、「うげー」と思う人に会った後の疲労度も、直接会った時は大きい。

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