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誰にでも“良さ”があるって本当なのか

今回の相談者の方は「私は他人と比べて、自分には良さがないと感じることが多いのですが、誰にでも良さがあるとは本当のことでしょうか」という直球のボールを投げてきてくれました。

さらに続きがあって、「全ての点で上の人がいれば、それは良さがないということになりませんか?」とも。この相談者の周りには「できる」、「持っている」人が多くいるみたいです。そして、この方が「すべての点で人より勝ちたい」と思っているところがあるようで、僕が察するに、その比較に疲れてしまうとか、しんどくなってしまうことがあるんでしょうか。

さらに、自分の周りにいる人達に対して「皆、人生が上手くいっているように見えるし、悩みなんてないだろう」とも考えてしまうみたいです。卑屈にならない方法はありますか?という相談でした。

今回のお手紙から取り上げたいのが「誰にでも“良さ”があるって本当なのか」の話なのです。

ちょっと場所や内容が特定されないような昔話の仕方をしたいのですが、昔、ある場所で、あるタレントさんを占ったことがあったのです。「タレントさんを占う」って、かなり難しいんです。しかも、そこに「カメラが回っている」とか「聞いている人がいる」となると、占いが持っていなければいけない「密室内で信用してもらう」という条件もなくなってしまう。あとやっぱり、タレントさんという職業は、本当に見事に「素」を見せない訓練をされてきています。

もうひとつ、タレントさんを見た時に一般人と違うのは、やはり「長所」と「短所」が強烈にあります。たとえば、「ストイックさを持っている」って、通常は「長所」じゃないですか。でも、タレントさんのストイックさって、やっぱり「常軌を逸している」みたいなところが多かったりします。「一年に数回ぐらいしか、自分のテリトリーに友人すらも寄せ付けない」とかですね。

話がそれてしまったのですが、「ある場所で、あるタレントさん」を見た時に、その方を見た時のインパクトは今でも覚えているんだけど、その方に「特に長所がなかった」んです。これ、すごく失礼だけど、そのままのニュアンスで伝えました。「私を見て!」という光が見えないのがすごいって。

もちろん、僕の分析についてもお伝えしたのですが、その方は「タレント」という立場に自分を固定しているのではなくて、「バイト先」でも、「タレントという仕事」でも、とにかく自分が「たまたまいる場所」で一生懸命やる。つまり、「立場や居場所がどこかで変わることがあっても、人気が出なくなっても、“そうですか”と言って次の場所に行く。面白い場所は“そこ”だけではないし、しがみつく必要もない」みたいな感じで、「あっさりのプロ」みたいな感じだった。

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