見出し画像

作家はなぜ温泉宿を求めるのか

少し前の話になるのですが、2025年の上半期占いを書き上げた後に、けっこう色々な限界と軽めの燃え尽きがやってきました。

週一でジョギングを始めていたこともあり、体の方はなんとか大丈夫だったのですが、頭が「一切の文字が読めない」みたいな状態になってしまって、けっこう弾丸で「温泉に行こう!」と決めてしまいました。

以前から色々な人に勧められたこともあって、長野県の湯田中(ゆだなか)という、かなり古くから温泉街とか療養所として有名な場所に行ってきたのですが、この場所がもう、大正解で。

その、湯田中の温泉街で感じたことは、あとで軽く触れさせてくださいね。今の僕は、温泉に行ってきたこともあって、頭も体もすっかり癒えて、なんとか年末年始も乗り越えられそうなのです。

それで、僕の仕事って「ひたすら机の前に座って、12星座と向き合う」という、まぁまぁ特殊な部類の性質を持っていると思います。目の前に誰かがいるわけではないから、ひたすら、自分の中に入り込み、リーディングをし、12星座と対話を続ける。

その「12星座の中に入り込む作業」をずっと事務所や家でやっていると、「暗闇の中に閉じ込められたか」のように感じてしまうことが、正直あるのです。

もちろん、どの仕事をしていても、それぞれの仕事特有のキツさや辛さはあるし、僕自身も、自分がやっている仕事の「辛い面」だけではなくて、「楽しさ」も「やりがい」も実感しています。

でも、その生活を続けていく時に訪れる限界として、「自分の住む家や事務所や街が嫌いになっていく感覚」を覚えるし、あとやはり、部屋の空気がけっこう澱(よど)んでいってしまう。この澱みは自分から発せられているものであるから、どんなに換気をしたとしても、けっこうな濃度で残り続けてしまうことにもなる。

その澱みを事務所や自分の部屋に残したくないから、時期によっては、旅館やホテルなどに宿泊をして、ひたすら執筆をし続けたりもします。「占い」や「執筆」という、普段とやることは変わらなくても、場所を変えたり、その土地でご飯を食べたりするだけで、だいぶ救いになっていくのです。

前置きが長くなってしまったのですが、そろそろ長野県の湯田中に行ってきた話を書きたいと思います。

湯田中はもう、雪がある程度降り積もっており、僕が行った時も、ちょっとした吹雪のような天候になっていました。雪景色の中を、温泉の湯煙が絶え間なく噴き出す姿は神秘的でもあり、こちらの生命力まで温められるような感じを覚えて、景色を見ているだけでずっと感動しっぱなしになりました。

昔から作家や文豪などが温泉宿に籠って作品を書くことがあったと思うのですが、やはり、普段の自分の創作場所から離れるという「転地」。そして、温泉に浸かり、お食事などを頂く「療養」の二つの効果はすさまじいと感じます。

何より、温泉宿という装置が、「療養」という点で非常に優れていると今回も改めて感じたのです。

ここから先は

2,633字

¥ 150

いつも温かいサポートありがとうございます。メッセージも読ませてもらっています。僕はこの場所が「近所の寄り合い所」みたいになってくれたらすごく嬉しくて。あなたの声が聞けて嬉しいです。これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。