特別じゃないあの日々
「また乾杯しよう」がテーマなのですが、いきなりこの規則を破って「僕と日記」の話をさせて下さい。
多くの人々が普通に生きてきて、おそらく小学生ぐらいの時に「第一の試練」にぶつかると思うのです。その試練とは「みんなが当たり前にできることを、自分はできない」というもの。たとえば、足が速くて運動会で大活躍するクラスメイトがいるし、勉強ができる子もいる。笑いのセンスがあって、その子がいるだけでクラスに何か「面白いことが起こるぞ」と期待される子がいる。
「何かを持っている子が周りにいる」
それが多分、小学生ぐらいの時に感知する、人生で最初の試練なんじゃないかと思うのです。
「自分には何があって、何がないのか。自分には何ができるのか」
小学生ぐらいの時にぶつかった壁は、大人になっても何回か、いや、何十回もぶつかっていくことになります。
「あなたは何がしたいの?」
という質問に対して、堂々と、そして、笑顔で答えられる人はある程度その「壁の試練」を乗り越えてきた人です。だってそこで、日々の実践やひとりになって考える時間も含めて「自分に何ができるのか」の答えを出してきたわけだから。
「自分には何があって、何がないのか。自分には何ができるのか」
生きていく中で「なんとなく見つかるだろう」と思っていたこの問いに対する答えは結局見つからず、僕なりにこの問いに対して決着をつけたいと思って始めた習慣があります。それが、高校三年生の時に始めた日記だったのです。
日記を書く理由はほら、算数の授業の時に、「何がわからなくて、何を質問して良いのかわからない」ってあるじゃないですか。そういうのが僕の人生にはものすごく多かったのです。「洋服屋さんに服を買いに行くのに、どういう服を着ていったら良いのかわからない」とか。それを誰かに聞いても、「普通でいいんだよ」と言われるから、日記を書いて自己問答をしていたのです。日記の左ページに「明日、友達に誘われてご飯を食べに行くんだけど、何を着ていけば良いんだろう」と書いて、右ページに「あの朱色のパーカーはソースの染みがついているからやめておいた方が良いだろう」と書いたり。
この日記というツールがあったおかげで、遊ぶ友達が大人数にならなくても、集団の中に入れなくても、まぁまぁ人生を面白く過ごせる「友」になりました。何か疑問に思ったこと、他人に聞けば3秒で回答が返ってくることを日記に聞けたから。バイトが終わった後にひとりで家に帰って、日記に書きながら考えることが毎日の日課になり、親友と話しているような気持ちになったからです。
日記を書き続けてわかったことがあります。
何かの才能を持つのが大事なんじゃなくて、自分なりのセンスを磨く時間が大切なのだと。
たとえば、
「自分には何があって、何がないのか。自分には何ができるのか」。
その問いに対して「私はこういう才能を持っています!友達に恵まれています!」と答えられる人もいます。でも、残酷なようだけど、そういう人達に人を惹きつけるセンスがあるかというと、正直に言って、それだけでは何かが足りない気がするのです。
センスとは「自分はこう考える」と言えることだと思います。
もっと言うと、物事を自分なりの基準で「美しいと感じるか、美しくないと感じるか」を決めていくことができること。だから、家族を守るために謝罪をする人の姿があったとしたら、あれは僕から見たらどこをどう見ても「美しくないもの」なんかじゃないです。
そんな日記と共にあった人生なのですが、もちろん日記には「日記らしいこと」も書きました。「〇月△日、バイト先のみんなと飲み会をした」とか。
ただ、長く日記を書き続けた人生を送ってきて、「日記の書き方」についてひとつだけ後悔があるのです。
それは、「もっとこの時期に、誰と一緒にいたか、名前を書いておけば良かった」というものです。
日記には、自分にとって印象深かったことを書いてきました。他には自分がぶち当たった壁、そして、強く好奇心を抱いたこと。日常の記録だったら、特別な日の、特別な思い出とか。
でも、今から思うと、自分の日記に「名前を記さなかった人」って、自分の人生の中でもっと大切な存在でした。
よく、人には「出会いと別れがある」と言われるのですが、学校生活の中で100人知り合ったとしても、卒業後に付き合っている人達は数人になったりします。親友、恋人、家族。そして、嫌いな人、どうしても許せん人、もう二度と会いたくない人、半年間だけすごく仲良くなった人、バイト先で何か月間は一緒だったけど、途中で来なくなってしまった人、作り過ぎたカレーを分けてくれた人、なぜか一心不乱で机の上に落書きを書いていた子、大量のよだれを流す子、プールの時にだけ水に帰る魚のように喜んでいた子。
日記を書いていたとしても、そこには書ききれないほどの、それぞれの名前を持った人々に出会っていく。それぞれの名前を持った人々は、当たり前のようだけど、「簡単には語りきることの出来ない人生の背景」を持っている。
みんな、何かを抱えて生きている。
大量のよだれを流し、プールの時に水に帰る魚のように喜んでいた子も、今はどこかの会社で不慣れな営業をしているのかも知れない。毎日の生活の中でSNSに華麗な食事の風景を投稿している子も、どこかのきっかけで恋人に振られ、「明るくならなきゃ」と決意したことがあったのかも知れない。
僕は大人になって、自分にとって大事な人とは「連絡先を知っている人」だけじゃないような気がどうしてもするのです。むしろ、自分と気が合い、大事に思える人には「この人には勝手に、自由に生きていて欲しい」と思ってしまい、連絡先を交換しないこともよくあります。
表に出てくるものだけがすべてじゃないです。
踏み込んでいくことだけがすべてでもない。
大人になって「お疲れ様」という言葉と「乾杯」という言葉が好きになりました。だって、「お疲れ様」なんて言葉は、相手が何を頑張ってきたかなんてわからないわけでしょう?そこに深入りはできないけど、知らないところでこの人達がいるから何かの仕事ができたり、自分の時間が使えたりする場合がある。もちろんそれはお互い様なんだけど。
乾杯は、今日まで生きてきた目の前の人達への祝福です。
「いやぁ、お疲れ様、乾杯!」
がダブルで使われると、もっと最強の祝福になります。
今、多くの人が抱えているものは、容易に言葉なんかにはできないです。
だからこそ、僕はまた人に会って乾杯がしたいです。
「いやあ、なんかね、色々大変でしたよ」
だけで良い。それをお互いに言い合えば良い。
顔つきを見れば、どれだけ大変だったかをお互いに感じ合うことなんてできるから。
オンラインも良いですけど、また会って乾杯したいですね。麦茶でも、ビールでも、ワインでも、ノンアルコールでも。人同士は、お互いの苦労をねぎらうために出会うんじゃないかって、この2020年という二度とない時間の中で気づくことができました。
だからまた、会っていきましょう。
それまで、色々と抱えてやりましょう。背負ってやりましょう。
再び、みんなで祝福されるために!
このnoteは、キリンと開催する「 #また乾杯しよう 」投稿コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。