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神社をオーラで見るライフワークをやめた話

もうけっこう前の話になるんですけど、「神社などの聖地のオーラはどういう感じなのか?」を調べることを、自分の趣味というか、休日のライフワークにしていたことがあるのです。

それは別に、そういうことをやって「新しい仕事にしよう」と考えたわけではなくて、神社や聖地に入った際の、「言葉にできない、何とも言えない空気感」のようなものを、オーラリーディングをすることによって言語化したいというですね、僕自身の本当に勝手な願いでした。

ただ、人と違って、「場所」とか「聖地」のオーラを見るのはやはり難易度が二段階ぐらい上がったりする。人のオーラはですね、やっぱり「ここを見てほしい!」とか「ここが今、痛いんですよ」みたいな、ある種の主張の激しさがあるのです。

でも、場所や聖地というのは基本的にいつも「シーン」としているわけで、しかも、神社とかを見る場合に「この神社の起源は」とか、前もってそれを知ってしまうと、「そういうものがいる気になってしまう」先入観が生まれやすいんですよね。

僕は自分でこの年齢まで生きてきて、「聖地」や「霊場」とされる場所は、意外と自分の家の近所にあるものだなと感じてきました。

たとえば、いつもはすごく平和でにぎわっている公園なんだけど、陽が落ちるぐらいの時間帯の時に、奥の方にある池の方に行くと「違う世界に迷い込んだ感覚になってしまう」とか。

他にも、「この場所に行くと、全然縁がなかったけど、遠い世界にある故郷に帰ってきたかのように、ゆっくりできる」みたいなことを感じることもある。

その「聖地」や「霊場」には、“住所”や“郵便番号”があり、その場所は自分たちが暮らしている場所と地続きで繋がっている場所なんだけど、行ってみると、何かが違う。「自分たちが知っているルールではない、何か他のルールがあるような気がする」を感じたりもする。

僕が勝手に「聖地」や「霊場」、もっと言うと、「忌(い)み地」と感じる場所には共通の空気感があって、それは「その場所に行くと、風が止み、時間が太古のままの状態で残っていること」だったりするのです。

  • 不思議と、その場所だけ時間が止まっている感じがする

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