アイデアが出ない時は没アイデアを出そう
もう随分昔の話になるのですが、当時は個人でやっている鍵付きのインスタのアカウントを持っていまして、これ、本当に友達6人ぐらいしかフォロワーがいない世界で細々とやっていたんです。
というか、ほぼ何も投稿しないで基本は放置していた。「このアカウントには本音を書くぜ!」みたいなことは過激なことはやっていなく、愚痴なんかも特にないので、出張先で撮った川の写真とか、そういう思いでアルバムみたいな感じで使っていました。
しばらく放置をしていたその細々アカウントだったのですが、全然更新したいことがなくなったことがあったんですね。顔を知っている6人のフォロワーを前にしても、「特に、私の生活で投げかけたいことはないっす」と思ってしまい、「誰もいかない山小屋」みたいな形で放置されまくってしまった。何かですね、誰も見てないんだろうけど、心が痛んだんですよ。
でも、「SNSに何も投稿できなくなっている時」って、なんかしらの理由とか背景があるはずじゃないですか。何かに対して痛んでいる時なのか。それは敏感な痛みなのか、鈍痛なのか、もしくは、自分自身の価値観などが変わっている時とか。もちろん「SNSに投稿しないことが良くない」というわけではないですよ。あと、単に「いいねなどをつけられる元気がない」とか「消息をあんまり教えたくない」とか「絡みたくない」みたいなこともありますよね。
ただ、なんとなく僕はその時、「自分の色々なことに対して、完成品の提出を求めすぎてしまっている」と感じたのです。
だから、放置していたそのSNSに、ある時、「久しぶりに焼肉を食べました」と焼肉写真を投稿したんです。何かそれが、久しぶりに味わう新鮮な感覚があったのをすごく覚えているんです。
ちょっと話が飛んでしまうかも知れないのですけど、よく僕も含めて、「なかなかアイデアが出ない時」があったりしますね。コラムとかブログとかでもそうですけど、「何を書いて良いのかわからない」とか「ネタがない」みたいな感じの時。「明日の会議までに何個かアイデアを出さなければいけない」と、仕事で使う「ネタ」が求められる時もあったりします。そして、プライベートにおいては「別にSNSに載せるまでのネタじゃないしな」と感じて、放置をしていったりする。もちろん、プライベートのSNSは毎日熱心に投稿をしなくても良いわけだし、放置しても良いんだけど。
それで、僕が最近、「まぁまぁどうでも良い、生存報告的な焼肉の写真を、久しぶりに自分のSNSにアップした」時に、やっぱりすごく新鮮だったのです。
そこで「新鮮に感じたこと」と「アイデアやネタがないと感じる閉塞感」には強いリンクがあるような気がしたんです。
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