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邪悪界の住人との接触率を下げる

今回は「わかってくれたら嬉しい」みたいなことを書きます。

自分の話になってしまうのですが、僕が不思議と仲良くなっていく人は「電車に乗ろうとホームに並んでいる時に、いつも『後ろから誰かに押されないか警戒している』という感覚を持っている人」なのです。

もちろんですね、初対面で「あなたは電車に乗る時に後ろから突き落とされないように警戒する人ですか?」なんて尋ねたことはありません。でも、不思議と何かの拍子に「電車に乗る時に後ろをけっこう気にしてしまう」みたいな話になって「あー、わかります。私も」みたいな話になることが多い。

こういう話、「そこまで警戒して生きるのなんて意味がわからない」と答えられることも多いです。でも、どこか自分も含めて、仲良くなる人に関して、

「生きる上で、不用意な“邪心”との遭遇を警戒し、接触率を下げようとしている」

みたいな不思議な警戒心を持っている人が多かったりする。

もちろん、しつこいけど、そのような警戒心に対して「疲れない?」と指摘する方もいらっしゃると思うのです。

でも、他人に対してそこまで強く勧めるつもりはないけれども、生きていく上で警戒心というのは、一定以上は持っておいても良いんじゃなかと僕は考えます。

というのは、人は生きていて、突然自分が大切にしてきた物語を損なわれる可能性を持っている。

これはどこか人という存在においても動物界に所属している部分があるわけで、動物界にたとえると、小動物が我が物顔で川を渡ろうとすると、その川に生息しているワニに急襲される感覚と近いと思っているのです。

話が飛ぶようなのですが、「人見知り」というものに関しても、「ある種の小動物なり動物が持っている野生の警戒心」に繋がるところがあるんじゃないかと僕は考えていて、人見知りの人って、誰かと打ち解けたり、仲良くなったとしても、次に会う時には「緊張感」がリセットされて、またスタートから始めていく感覚があったりするじゃないですか。前回けっこう仲良くなったと思ったのに、また今回「・・・どうも」から始まっていくみたいな。

あれも、「人」とか「社会生活」という面で見たら、人見知り本人の人もいちいち労力がかかって面倒臭いけど、「動物的」には正解の部分がけっこうあるんだと思うのです。

だって、動物の世界においては「油断して、気持ちを許したら、どこかで食われる可能性もある」ところなわけだから。だから、人見知りの動物って、一回一回警戒心という名の緊張感をリセットして、油断をしないようにしている。そのモードになるのはいちいち面倒くさいんだけど、その面倒くささと引き換えに「自分がこれまで築き上げてきた物語が損なわれないように守ろうとしている部分」があるんじゃないか。

自分が覚悟をした舞台で競争相手に出会ったり、また、多少の攻撃を受けることはしょうがない。でも、それ以外の全然自分とは関係のない人に、自分の大切な思い出とか物語を損なわれたくない。ただ、社会の中には一定数、「誰かが持っているものを損なおうとする」肉食動物みたいな人がいます。今回のコラムでは「日常生活で突然、誰かの持っている大事な物語を損ねようとしてくる人」について書いていきたいのです。

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