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どうにもならない事情で自分の楽しみを奪われたら

今回のお手紙から取り上げたいのが「どうにもならない事情で自分の楽しみを奪われたら」の話です。

多くの人にとって現在かなりタイムリーに「いつも当たり前のようにやっていた楽しみができなくなった」とか「自分の楽しみを自粛しなくちゃいけなかった」とか、そういう環境の中にずっといましたよね。

これ、本当に今でもキツいと思いますし、もしまた条件付きで「人と会える」という環境が来た時に「どうやって過ごしていたか」とか個人的に聞いてみたいことばかりでもあるのです。

「楽しみを奪われる」って、本当にすごいストレスですよね。

ただ、このストレスに対しては、けっこう大きな発想の転換をしないと、けっこうキツいです。テレビでもメディアでも、「こういう時だからこそ、他に楽しめるものを!」とすごく一生懸命に報じてくれたりしていますが、それが「今まであった楽しみと取って変わる」というのはなかなか難しかったりする。

ごめんなさい。結論としては「難しい」になります。ただ、このような時期の「有効な時間の過ごし方」はあると考えているのです。どのように考えて、この制限期間を精神的に乗り切れば良いのか。僕なりの考えをお話したいと思います。

籠る=修行

今回の自粛期間で、僕の知り合いとか、好きな人達が一様に言っていたのが、「家に籠るというのは、それだけで修行になる」ということだったのです。いきなり怪しい話に振り切れてごめんなさい。

たとえば、今でも色々な「修行ツアー」があったりします。代表的にはファスティング(断食)であったり、または、山のお寺の中に入ったり、山伏を体験するツアーであったり。いくつかの「修行体験ツアー」に僕も過去に何回か参加したことがあるのですが、「修行」の第一条件というのは、「今まであった外部から隔絶されること」なんですよね。なんかこれは太古の昔から一貫してある条件で、「六本木の繁華街の真ん中での修行」とかはあんまり聞いたことがない(そこにはまた、違う意味での修行があるのでしょうが)。修行環境は世俗や友達に自由に会える環境から隔絶されていて、場合によっては携帯電話を預けるところもあるし、山奥で電波が届かないところもあります。

これ、よく考えると面白いんですよ。

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