失礼なことを言われたときの消化の仕方
今回の相談者の方は、他人からのネガティブな言葉との距離感について、お手紙をくださいました。ありがとうございます。最初の「しいたけ占いにいつも元気をもらっています」のご挨拶もありがとうございます。
この方は色々あって、一年前から海外で暮らしているそうなのです。そして、最近日本に帰ってきた際に、久しぶりに会う友人から「実はそんなに英語できないでしょ」とか「これから先どうするの?」とか、さらには「太った!」などと言われてしまったそうです。えええええええ。なんですか。こんなこと言うの?ひでーなと思ってしまいました。
この相談者は「人からの久しぶりに悪意のようなものをぶつけられて、気持ちがダウンしてしまいました」とお手紙の中でも伝えてくれました。そりゃダウンしますよ。
もともと他人からの肯定や応援をそこまで必要としていないタイプだという自覚があったそうなのですが、今回、友人から批判めいたことを言われ、ショックを受けている自分にもショックを受けてしまったそうで、どういう風にこの体験を消化していけば良いのか?とのことでした。
今回のお手紙から取り上げたいのが「失礼なことを言われたときの消化の仕方」の話なのです。
まずですね、すごく極端なことを言わせてください。
僕自身が勝手に考えていることなのですが、人はある面において、考え方とか性質とか価値観みたいなものがですね、そういうものが二つのタイプに分かれている気がしているんですよ。
一つは、誰か他人に対して、「この人はこの人の肉体と心と人生の時間を持っている。すなわち、この人の人生はこの人のものだ」と感じてくれる人。
そして、もう一つは、「みんな一緒だよ」の人たち。
前者のですね、「その人の人生はその人のものだから」という感覚を持ってくれている人たちは、別に周りの人や友達が「何の選択をしよう」が、「どういう変化をしよう」が、「ふーん、良かったね」とか「すごいね!」とか、「大変だったね」で済ましてくれます。その人に関心がないわけではないんだけど、必要以上に、本人からの要請がない限りは、余計なことを言って、その人の人生を汚(ケガ)さないように注意している。そして、余計な踏み込み方はしないようにしている。
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