自分の進路は正しかったのか
今回、23歳の方からお手紙を頂きました。この方は大学時代に演劇部に所属しており、その時に俳優としての自分1番イキイキしていると感じ、卒業後は新聞配達の仕事をしながら養成所に通うことになったそうです。
ただ、卒業後の進路としては2択あったそうで、ひとつは大学があった地域に残って働きながら、当時すごく仲良くしていただいていた社会人劇団に所属して続ける。もうひとつは、上京して俳優を職業として生きる道を目指す。それで、この相談者の方は芝居が何より好きだったので、1日の時間をなるべく芝居に注げる道を選びたく、後者の上京して一人で戦う道を選んだそうです。
ただ最近、違う方の選択にあった「大学や昔の仲間がいた方」を思い出し、地方に残っていたら過ごせたかも知れない日々などを想像して胸が苦しかったりする。今が過酷な環境にいるから昔が恋しいだけかもしれないとも思って、自分が「間違えたのでは」と思ってしまっていることが辛く感じられてしまうことがあるそうなのです。これから先、どう進んでいけばいいのかというご質問でした。
今回のお手紙から取り上げたいのが「自分の進路は正しかったのか」の話なのです。
このお手紙を読んで、上手く言えないけど、「置いてきたものがある」と感じたら、選んだ進路は間違っていないんじゃないかと思ったのです。少し遠回りをしながら、僕の感じたことを話させて下さい。
あんまりわかったような口はききたくないのですが、僕が大人になってわかったことがあります。それは、多くの人が「今」に至るまでに、本当に色々なものをある場所に置いてきて、そして、今の場所に立っている。今、すごい笑顔でいる人も、過去にやっぱり何かを置いてきた経験は持っている。
もちろん、ごくまれに「自分が欲しいと思ったものを全部“今”に持ってきた」という人もいらっしゃいますよ。でも、たとえばなんだけど、40代以降成功した人とかも、「20代の頃、まったく青春ができなかった」とかもあるだろうし、そして、「恋人ではなく、自分のヴィジョンと理想の方を取った」という人もいるだろうし、この相談者の方のように「懐かしく、大事な場所」を置いて、ひとりで戦う方向を選んだ方もいます。友達とか人間関係なんかでもありますよね。
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