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開運=ごめんができるか

開運という言葉があるじゃないですか。

占いなどの世界でよく用いられるこの開運という言葉をどう使おうかといっつも考えているのですが、おそらく、使う人によってイメージが違うと思うのです。

僕個人が使う場合の「開運」のイメージは、日本の神道とか古神道とされている考え方に近かったりします。ここから先に話すことは独自の解釈が入っていると思うし、専門用語を使わないので「正式な神道の考え方とは違う」というご指摘もあるでしょうが、もし良ければ聞いて下さい。

神道のケースの開運って、禊(みそぎ)の思想がすごく強いと思っているのです。

たとえば、今の自分が「もうちょっと運が良くなりたい」と思ったり、あとは「最近すごく嫌なことが多いから、守ってもらいたい」とか、そう思ったりしたときに、神道の場合は両方とも「禊」(みそぎ)を勧める。何か汚れとか、余計なものを落として、本来の自分のまっさらな自分に戻るというか。

それって改めてすごいことだと思うのです。

普通、開運というと、デコレーションみたいに、色々なことを盛りたいと思う。金運もそうだし、交際運もそうだし、たなぼたなんかも欲しい。笑 でも、一回綺麗にまっさらにしないと新しいものなんて身につかないよという思想がシンプルで、清らかで、すごいなぁと思ってしまうのです。

日常生活における「開運」ができている人

じゃあ、日常生活における「開運」って何だろうと思ったら、僕はそれは「ごめんが言える人」だと思っています。

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