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自己肯定感の高い人は、自分に0点をつけない

この間、2021年下半期のしいたけ占いを発表した記念でいつものようにSNSでのスペシャルライブをやりました。聴いて下さった方、質問を下さった方、改めてありがとうございました。

それで、すべての質問に答えられなかったけど、全部に目を通してみてすごく印象深い質問もいくつかあって。今回はその中のひとつ、「自己肯定感」について書いていきたいと思いました。

自己肯定感に関する質問とかお悩みって、けっこう多くの人にあるのだと思います。

たとえばなんですけど、何か自分にとってミスがあったり、失敗があったり、あと、面接とか対人関係なんかでもそうなのですが、ある人にとって自分が眼中に入らなかったり、否定されたりすると当然ショックなわけじゃないですか。

そういう、自分にとって全然好ましくない状況が起きた時の、“転げ落ち方”とか“倒れ方”に自己肯定感が表れるんじゃないかって僕は思うのです。

それこそ、自己肯定感の低い人って、正直僕なんかもそうなんですけど、「え、それぐらいで?」ということに対して「崖から転げ落ちるかのように落ち込む」みたいなことがあったりする。その逆に、自己肯定感が高い人って、冷静なんですよね。「あれはね、しょうがない」とか、あと、「運が悪かったよね」とかで済ませられる。「あの人、嫌だね」とか。

なんていうか、落ち込んだ状況のすぐ後に、立食パーティーに参加できるかのようなタフさを持っているように感じられる。「あいつは落ち込まないよな」と影でヒソヒソ言われている人って、やっぱり自己肯定感は高い。もちろん、人は誰かの表面的な部分しか見ていないわけだけど。

その一方で、自己肯定感の高さと低さって、その人が生まれて生活してきた環境もすごく大きく左右すると思うのです。それこそ、親になかなか褒められたことがない人とか、テストとかでも95点とかとっても「それぐらい努力のうちに入らない」みたいに言われ続けた人が、自己肯定感を持つことなんて難しい。

自己肯定感って、まずはじめに「誰かによって耕かされてきた土」があってこそ、そこからさらに豊饒な土地というか、作物や結果を育てられる庭になっていくことができるものです。誰からも褒められたことがない人は、自分の土に「肥沃な土」を混ぜ込まれたり、耕かされてきた経験がないわけだから、急に自己変革で「自分を変えろ」と言われても難しい。

僕は正直「自己肯定感ってあった方が良いのか」という話に答えることができないのです。「もっと自分を好きになろう」みたいなメッセージって、時に有害とすら思ってしまうから。

でも、何か、自己肯定感の高さって、便利なのです。こういう言い方が合っているかどうかわからないけど、倒れようとした時、失敗をしようとしている時に、自己肯定感って、「着地のクッション」になってくれる。何かの失敗をしたり、誰かから傷つく一言を言われた時、「あ、倒れるぞ私」って気づく瞬間があって、その際に自己肯定感を用意してあげると、致命傷をその場で負わずに済む。

だから、自己肯定感って、なんか「屁理屈」でも良い気がするのです。

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