“失う”のプラスの面
今からずっと昔、インドに行ったことがあるのです。この「インド行き」についてはまだ自分の人生の中でもまだ「インドはこういう意味があった」とは言えないぐらいに整理がつかないところがあるのですが、なぜかこのタイミングで書いておきたいと思ったので、もしよければ読んでみて下さい。
僕がインドに行く前の時、1年留年した大学院の修士課程をなんとか卒業したのですが、就職活動が全部落ちてしまったために、何もない状態で社会の野原にぽーんと投げ出された気持ちになりました。
変な話なのですが、その頃ほど「続き」が見えなかったのは初めてだったのです。
ある人が言っていたのですが、「自分が空想して、最後までその空想ができたら、そのイメージはけっこう現実のものになる」という話があるのです。
たとえば、政治家を目指す人だったら、選挙カーに乗って街の人達に挨拶をして、最後に万歳三唱しながらダルマに目を描き込むところまでイメージできるか。もし、イメージが割と自然にできたら、その空想は現実のものになる可能性が高い。
僕は、今までの人生をかなりイメージで決めてきました。
大学院の試験も、当時の自分の学力だったら受かるのはすごく至難の業だったのですが(実際に一年では受からずに一浪しました)、希望する学校の正門まで行って空想を確かめようとした時に、「これは別に試験で落ちても、この大学院入試という線で一生懸命頑張れば何かの線に繋がる」という、自分の中で空想が続いていくイメージがあったのです。だから、一生懸命頑張ってみました。
そして、その大学院を卒業した後、未来をイメージしようとしてもまったくできなかったのです。その頃は色々なことがあって燃え尽きたということもあるし、就職活動中もすべての会社で「自分がそこで働いている」、「出社をしている」というイメージが出ることはありませんでした。
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