たまには逃げちゃうのが良い
もうずいぶん前の話になるのですが、仕事などでけっこう行き詰まっていた時があったのです。その時、たまたま読んだ雑誌の中に、ある方のエッセイが載っていました。
エッセイには、その方が高校生だった頃の話が書かれていて、ある朝、どうしても学校に行くのが嫌になってしまって、衝動的に通学方向とは反対の電車に飛び乗ったそう。本来、学校に行かなければいけない時間のはずなのに、反対方向の電車に乗って、そこに広がっていた田舎の景色をいまだに忘れられない、みたいなことが書かれてあり、その文章にものすごく癒された記憶があります。ある人の強い記憶とか、深い記憶を元に描かれた文章には、その人と同じ景色を見させるとか、共鳴させる力があったりするから。
この「ある人の過去の高校生時代の、突発的な反対方向への電車に飛び乗ったエピソード」は今でも「詰まる物事」が多くなると思い出します。
ここからは少し、今僕がなんとなく感じていることを書かせて下さい。
しょうがない部分もたくさんあるんだろうけれど、今ってどうしても「息のしづらさ」があるじゃないですか。以前と言ったらあれだけど、「頑張る時は頑張る。そして、アホな時はアホになる」みたいな、大事な「アホになる」ことがすごくしづらい。アホをやったとしても、どこかに空虚感が残ってしまう。
この「息のしづらさ」って何だろうと考えてみたいのですが、これは多分、ソーシャル・ディスタンスとか、自粛、不用意な外出が推奨されないみたいな話になった際、そこに付随して起きた
「近さと遠さのバランスの崩れ」
なんじゃないかと考えているのです。
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