神社や聖地とのご近所付き合い
以前もどこかで書いたことがあるのですが、僕の中で、「神社という場所は、もしかしたら、銀行の働きと似ているところがあるのではないか」と思うことがたくさんあるのです。
「神社=銀行説」を詳しく説明する前に、まず、「神社」という場所がどういう働きをする場所なのかについて、私見を述べさせてください。
神社という場所は、明治時代ぐらいまで、「もともとはお寺だった」とか「神仏習合」のかたちを取っているところもあったり、それも含めて、昔から大切にされてきた、「祈りを捧げに行く」聖地だったわけですよね。
古来から、人は聖地に赴いて、何かのお願い事をしたり、決意を伝えていったりする。もしくは、日頃の自分の生活に対する感謝を伝えに行く場所でもありました。
今の話に戻って、神社や聖地とされている場所において、本当に真剣に「願い」や「想い」、または、「お祈り」をしたことがある方は経験があるかも知れないのですが、お参りを終えたあとに、「あ、これって、もしかして、前に願ったことの返答では?」みたいなことが、実際に起きてしまうことがあったりしませんか?
これは、僕が占い師としての仕事をしているからかも知れませんが、いわゆる、「神社や仏閣、もしくは、自分なりに聖地に赴いている人の顔付きや雰囲気」は、やっぱり、他の人と違うのです。
それは別に、「有名な観光地の神社に行ってきました」とか「初詣には行きます」みたい感じじゃなくて、自分なりにある想いや信念、もしくは、願いを込めて、そのような場所に参拝したり、ご挨拶をしたり、祈りを捧げている人って、その人の背景にやっぱり、「あれ、この人は何かに守られているんじゃないか」とされる雰囲気を感じてしまうことがあります。
その「守られている雰囲気」って、上手く言えないのですが、たとえば、良い常連さんに見守られて、繁盛しているお店で働いている店主の人が持っているパワーみたいな感じで、「ひとりの人なのに、なぜか、5人分以上の力を持っている感じがある」みたいな雰囲気を持っていたりもするのです。
何かですね、「特定のファンがついていて、しかも、そのファンと自分との間で、大事にし合っている温かい力を感じる」みたいなことがあったりする。それってやっぱり、ありがたいことだったりしますよね。
どうやったら、目に見えない存在に守ってもらうことができるのか。どうやったら、神社や聖地に赴いて、自分の願いを聞き届けてもらえるのか。すごく大胆なのだけど、今回はこのテーマについてやっぱり書きたいのです。
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