「出会い」がない時にすべきこと
今回はちょっと「出会い」についての話を書きたいと思います。
「出会い」という現象に関しては、占い師としての仕事面でも、そして、僕個人としてもずっと興味がある現象です。
「出会い」には奇跡的な面がものすごくあって、だって、自分も含めて色々な人生があって、色々な背景や生きてきた物語があって、その人その人の性格があって。そういう、「無数のすれ違いや、相手の存在に気付かない日々」を経て、ある人同士が「気が合い」、友人、恋人、仕事仲間、知人、そのいずれかになったとしても、相手の幸せを願うような仲になるというのは、やっぱり「普通じゃない」わけじゃないですか。
僕はひとつ、出会いという現象に対してひとつの強い持論があって、ちょっと暑苦しいですよ。ごめんなさい。
「人は、同じ熱量(=プロ意識)を持つ者同士が引き合う」
みたいなことは根本的にあります。
やっぱり「濃い人の周りには、濃い人が集まる」し、「変な人の周りには変な人が集まる」。仲が良い人同士とか、しょっちゅう会うわけじゃないけど繋がりが途切れない人同士とか、そういう人って、「このクオリティのものを出すのは許せない」とか、「それぐらいの気合いで臨むのは許せない」とか、“許せないものへの温度”が似ている人が引き合っていくことは多い。
出会いに奇跡を起こしていくためには、生活の中で一か所だけで良いです。自分の温度を上げていくことが大事にはなる。「温度を上げる」というのは、「自分にとって大好きなものへのプロ意識を持ち、そのテリトリーの幸せを守り続ける」ことですね。
たとえば、「私は自分のこの大好きな道が汚れているのは許せない」と言って、自主的に、自己満足で空き缶を拾ってるとか。
「ある労力を割いて、あるプライドを割いて、その人が勝手にやっている苦労とプロ意識によって、名も知らぬ人達が幸せになっている」
みたいな、そういう貢献活動をしている人は、不思議とある種の出会いが出てくる。
「私は自分の文字が汚いのは許せない。だって、読んでくれる人に気持ち良くなって欲しいから。だから、毎日必ず文字の練習はします」
みたいな、そういう「プラスαの勝手なプロ意識」を持っている人って、その「勝手な輝き」に気づかれやすい。
ただ、これにはひとつポイントがあります。自分の勝手なプロ意識について、「憎悪と怒り」を持ってやっちゃうと、闇の力が強くなっちゃう。
「私が大好きなこの道を汚す奴らが許せない。どうして人は道端にゴミを捨てるのだろうか。そのような人を許すことができない」
という感覚を持ってやっちゃうと、本末転倒。人は離れていきます。笑 だって、怖いから。
ただ、適度な「影や闇の力」が似ている人同士が引き合うことはもちろんあります。「この人はいつも笑顔で人を笑わしているけど、なんとなく影を抱えているな。私と似てる」みたいな人同士も、縁ができやすい。
出会いの4つのカテゴリー
そして、もうちょっと占い師として「出会い」に踏み込んでいくと、
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