大変!スランプがやってきた!
どれぐらい前の話だったかは忘れてしまったのですが、ある友人から「この方の文章、しいたけ.さんも好きなんじゃないかな」と紹介された作家さんの文章を読んだのですが、その人が「スランプ」について書かれていて、すごく突き刺さったのです。
ただ、内容の詳細が今どうしても思い出せなくて(すみません)、でもそれは、「私はこういうかたちでスランプを脱しました」みたいな解決策ではなく、「スランプを抜けたと思ったらまたスランプ」など、けっこうですね、正直なスランプ泥沼の話が書いてあったのですよね。すごくインパクトを受けました。どこにあったかなぁ。また探して見つけられたら、読んでみたいと思います。
そんなわけで、今回はちょっと「スランプ」について書きたいのです。
まず、「スランプを体験しない人なんて、この世にいるのか」と思うぐらいに、どの人も、人生の色々なタイミングで「大・中・小」や、「松・竹・梅」ぐらいのスランプを体験しているでしょうし、中には、「特大レベルの、5年もののスランプを味わいましたよ」など、なんかもう、プレミアもののウィスキーやワインみたいなスランプを体験されている方もいらっしゃると思います。
たとえば、「一日500個もの、人気パンが売れているお店」を運営している人がいて、客観的に見たら「名物パンがそんなに売れてすごいなぁ」と思うけど、ある時からそのパンの売り上げが470個になってしまって、どうしても、残りの30個が売れ残ってしまうみたいな悩みを抱えたとしても、それはそれで、「スランプ」と言えるものになりますよね。
また、自分のアイデアや作品を作ったり、創造を勝負の舞台にしているような職業に就く人のスランプは、「売り上げ」や「仕事時間」(前までだったら、この作品を仕上げるのに1時間あったらできたけど、最近はどう頑張っても3時間はかかる等)に直接影響する問題になるため、やはり、「こんにちはー。スランプです」の来訪は、「悪夢」のような体験にもなってしまう。
急に自分語りを始めて恐縮なのですが、僕も、今の自分の「執筆」の仕事をしていて、大中小、様々なスランプを体験してきました。
自分自身のことを「表現者」というのは恥ずかしいのですが、何かを表現していく者の根本的なエネルギー源のひとつとして、「過去に成仏されなかった、自分だけの傷や違和感」があったりします。
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