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仲が良かった人と距離を取る決断

個人的な話になるのですが、20代の頃の対人関係の中で一番恐怖だった言葉に「ちょっと、距離を取ろう」があったりしました。

この台詞は生涯通算で多分3回ぐらい直接言われたことがあると思うんですけど、破壊力がすごいじゃないですか。

なんでしょう、若い頃って、「時間があったらあるだけ会いたい人」がいたりすることがありますよね。「一緒にいる時間の多さ」と「親密度」がかなり強くリンクする。

恋愛関係でなかったとしても、「気が合う」、「趣味が合う」、「笑いや毒舌のセンスが合う」など、そういうものが一緒の人がいると、本当に毎日が嬉しくなってしまう。それで、「何が最近面白いと思ったか」とか「何がおかしいと思ったか」などを、ずっと話し合ったりもする。「誰かと電話で2、3時間話す」って、ある特定の時代の中でしか難しかったりもする。自分が年齢を重ねていくと、「よくあんなに毎日誰かと会えて、そこまで話すことがあったな」と驚愕してしまうことがあります。もちろん、これは個人個人の性質によって違うわけだし、年齢だけが原因ではないわけだけど。

一般的に、年齢が若い頃の付き合いの方が、気が合う人とは「距離感が自分の部屋に一緒にいるぐらい」に近いものだし、大人になってから習得するような「距離を取って付き合う」みたいなことを気にすることなんて、ほとんどなかったかも知れません。だからこそ、どちらかが、あるいは、お互いが「ちょっと距離が近いのが厳しくなってきた」と感じたら、「距離を取ろう」と伝えるしかなかった。

大人になって気づいたことのひとつに、「予防としての距離感」が出てきたりもするのです。おそらく、「人との距離感で成功例しかない人」なんてこの世にあんまりいらっしゃらないだろうから、経験上、「この人とはこの距離感ぐらいが良いだろうな」と確認し合って、それで、「良い距離感の関係」を築いていく。もちろん、そんな「距離感の調整」が寂しいと感じることもあるし、その逆に「相手が距離感をわかって下さる方で本当に良かった」と感謝することなんかも多く出てきたりします。

ちょっとですね、前置きが長くなってしまったのですが、今回は僕の体験談として「仲が良かった人と距離を取った時の話」をしたいと思います。

これはいわゆる、前説で書いてきたような20代とか、人との距離感が親密圏にあった時ではなくて、もうちょっと大人になってからですね。

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