2024年、それぞれの人にとってのキーパーソン
ここ最近、お仕事とプライベートで久しぶりに人と会って、2~3時間話して、ものすごい満足感や安堵感を得たんですよ。「人と会って話すのは良いなぁ」なんて、しみじみと感じたのです。
でも、同時に、やっぱり僕自身が年齢を重ねてきて、20代とか30代の前半ぐらいまでの「人と会って話すことの性質」がですね、自分自身の中で変化したことも強く感じました。
すごく変なことを言うようなのですが、
「昔と比べて、誰かと会って話をすることが、なかなか気軽にできなくなってしまった」
のです。
本当に自分が年齢を重ねるまで、こういう感覚が出てくるなんて思わなかったです。
実感として、今の自分の年齢と、過去にあった20代や30代の時代と比べると、なんかもう、圧倒的に「時間の貴重さ」違うんです。
体力的なことももちろん含めて、色々なやるべきことを終わらせていったりすると、一日の時間があっという間に終わってしまうし、一週間もあっという間に終わるし、光の速さで月末が来ちゃったりもする。
でも、明らかにこれは、もっと若い年齢の頃は感じなかったんです。
20代とかそれぐらいの時期って、ものすごい大変な仕事が終わった後とか、ある程度そこで興奮状態が続いたりして、そこから「今からご飯行かない?」とか、そういう友達の誘い方ができたりしたのです。
「今暇?」→「会おう」
ができて、そこで仕事の愚痴とか、自分が気づいたこととか、今日あったことなどを一通り話して、それで、「あー、楽しかった!」とか言って、深夜の0時を回って、そこから家に帰ってお風呂に入って、寝るような生活をすることができました。
これは年齢の話とか体力の話になっちゃうかも知れないのですが、若い頃は、一日のタスクを「6個から7個」ぐらいできた気がします。仕事をする、友達に会う、スーパーで買い物、そして、夜にタクシーを使って人に会いに行くとか。
「やるべきタスク」に加えて、勢いに任せて「やりたいこと」も積み重ねることができたのです。
話を戻して、「今暇?」とか「近いところでどこか空いている日ある?」など、そういうことができていた時は、今思えば、すごく貴重な時間でした。自分自身も、誰かに「今暇?」と誘われたら、「夜の21時だけど、今からちょっと行くか」みたいなフットワークが可能だったりもした。
そうやって会って話せるお友達や知人と暇つぶしができたり、なんでも報告し合えたりするのは、やはり自分の人生の中で貴重な存在だったなぁと思います。
もちろん、今でも少数ながら、友達とか知人はいます。
でも、お互いに年齢を重ねてきて、気軽に「今暇?」とは聞けなくなってしまった面が出てきてしまったし、「誰かと会って色々と話すよりかは、誰にも気を遣わないで過ごせる時間がほしい」など、そちらの面も強くなってきた部分もあります。
「誰かに会う気軽さ」が減っていってしまったのはなぜか?
このことをですね、ちょっと自分なりに考えてみたのです。
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