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大人になって大切なものをむさぼらなくなった

個人的な話で恐縮なのですが、数年前からあんまり「読書」の時間を求めなくなってしまったことに気づいたのです。こんな話を聞かされても、「あー、そうですか」で終わってしまうのですが、自分の中ではこの“体験”が非常に大事なものなのです。

人生のあるタイミングで、これまでものすごく好きだったものとか、一心同体だったものや時間との間に距離ができる。

多くの人が「大人になる」過程において、上記のような「距離」を感じていくことがあるんじゃないか。今回、そういう「大人になって覚える寂しさと、楽しさ」について是非書いていきたいのです。

繰り返しになるのですが、自分が大人になって、「読書の時間」をそこまで強く求めなくなったのを気づいた時、けっこうな衝撃を覚えました。というのは、自分の人生の中でも読書の時間というのは、それこそ「生きること」を支えてくれていたような、それぐらい大きな価値のあるものだったし、睡眠、食事、遊びのカテゴリーの中に必ず「本を読む」が入るぐらいに、それだけ自分の人生の中でいつも隣にあったライフワークでもあったのです。

これはちょっと大事な話なので聞いて欲しくて、人それぞれに「ある一時期、本当に狂ったようにこればかりをやった」みたいな時間があったりするじゃないですか。たとえば「仕事が終わった後に毎晩お酒を友達と飲んでいた」みたいなこともそうだし、「家に帰ったらとりあえずヘッドフォンを取り出し、ひとりで音楽を聴く」なんかも、そういう種類の時間じゃないかと考えているのです。

他人には理解をされないけど、自分の中で一時期「そこにだけしか没頭していなかった」とか「むさぼるような時間」があったりする。

特に10代や20代という時間の中、それぞれのやり方で社会に参加をしていったりして、その中で「ある振る舞い」をし続けていくと、自分の中で何かが欠損していく。その欠損や傷を癒すための時間が「食べること」とか「ひとりで音楽を聴くこと」とか「友達と朝まで話す」とか、意味のないことに全力で打ち込んだり、そういう時間は本当に大事になる。

それで、冒頭の話に戻るのですが、自分が大人になった時に、いつの間にか「本を読む」という時間が減っていってしまいました。それはもちろん、「忙しくなった」という言い訳をすることもできるけど、「むさぼる感じ」で本に接していない自分が出てきた。

「読書」をむさぼらなくなったときに、「友達」についてもそこまで求めなくなったことにも気づきました。

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