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説得コストのかかっていない話はミュートすることにした話

最近このテーマを深掘りし過ぎて本当に申し訳ないのですが、「情報との付き合い方をどうするのか」についてずっと検討している状態なのです。

というのはですね、最近も含めてやっぱりSNSで寄せられてくる色々なつぶやきのタイムラインとか、情報について、けっこうミュートしちゃっているんですよ。

これについて思うことを書いていきたいのですが、今の時代って本当に不信感がすごいじゃないですか。多分、今は子どもでも「テレビやメディアでは放送できないこともある」なんて知っていると思うし、そんな「不信極まる状況」だからこそ、「この情報が隠されている」とか、そういう「※これは個人の意見です」みたいな情報がSNSを中心に猛威をふるってしまっています。

でも、こんなことは当然でもあって、先ほどから言っているように不信感がMAXの状態だからこそ、「どこから漂ってくるかわからない情報筋からの情報」が行き届きやすい。

政治でも、社会でも「色々と問題や不満はあるけど、専門家やその道の人達に任せておけば良い」という状況はとうに破壊されているわけだし、なんとかこの状況から色々なことを変えていかなきゃいけない。立て直しもしていかなきゃいけない。でも、まだまだ全然「こうしていくのが良い」という未来像とか、ヴィジョンみたいなものが明確に提示できていない状況があったりしますよね。

僕自身も当然「このままの状況でOK」だなんて思っていません。

「何か正解があるわけではないけど、このままの状況ではいけない」

という時に何をしていくか。不謹慎かも知れないけど、僕はそういう時に「その人の個性」が出てくるものだと考えています。

これは本当に面白いのですが、占いをやっているとものすごく個性的なお客さんがたくさんくるんです。

・経営していた会社の売り上げがピンチになり、とにかくその日から「床を磨く時だけは仕事のことを考えずに、無になり続け」、その結果いつの間にか業績が回復した

・公園のベンチを自分なりの聖地に見立て、そこにいる時だけは「自分の完全な自由時間」にして、大好きな本を読んでいたら窮地を脱した

など、「正解のない状況の中で、いつの間にか窮地を脱してしまった人達」にはある共通項目があったのです。それは

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