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子どもの夢をどこまで応援すべきか

今回の相談者の方には小学校2年生の息子さんがいらっしゃるそうなのですが、その子がプロのサッカー選手になるのが夢で、サッカー漬けの日々を過ごされているそうです。なるほど。僕の周りでもお子さんがサッカーをやっている人がいて、やっぱり遠征とかお弁当作りとか、支える方も大変なこともありますよね。

それで、先日この息子さんに大事なセレクション(試験のようなものだと思います)があったそうなのですが、二次審査で不合格になってしまったそうです。そして、その会場には天才とか神童と呼びたくなるような、化け物級にサッカーが上手な子ばかりがいたそうです。相談者の方から見ても、「こういう子たちはきっと毎日死に物狂いで練習してきて、その努力の上で成り立つスキルなのだろうな」と圧巻されたそうです。

相談者のお子さんは「嫌な練習はしたくない!」と言った感じで、プロになるにはどれほど厳しい道のりなのか何度も説明したり、映像を見せたりしても、どこまでその厳しさを理解しているかわからない、とのことでした。

幼稚園児の頃は無限の可能性を感じて無邪気に応援出来ていたのに、少しずつ年を重ねて現実が見えてくると、スポーツの世界を本気で目指すことが恐怖に思えてきて、どこまで応援すべきか悩んでいるそうです。

さて、今回のお手紙から取り上げたいのが「子どもの夢をどこまで応援すべきか」の話なのです。

まずですね、貴重な内容のお手紙をどうもありがとうございました。何か、「現場からは以上です!」みたいな感じで、いわゆる、綺麗事だけではない「子育ての現場」が密に描かれた、内容の濃いものでした。

このお手紙を読んで、色々なことを思ったのですが、現代って、色々な対話について「カウンセリング型」が推奨されている気がしません?「相手の話を聞きましょう」とか「一方的に自分の価値観でモノを言ってはいけません」とか。「お互いに同意し合って作り上げましょう」とか。

もちろん、それに対してケチをつけたいわけでも、「そういうのはちょっと」と言いたいわけでもないのです。

でも、どこで読んだかは忘れたけど、一昔前までの「家族のコミュニケーションの形態」はサザエさん型だったそうなんですよ。

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