頑張れば頑張るほど損をしてしまうんじゃないか?
今回の相談は「頑張れば頑張るほどそんな立場になるのは仕方ないのでしょうか?」の一文から始まりました。お話を聞かせてください。
この相談者の方は努力をして大学に行って、就職をしても、その給与は実家の借金返済に消えてしまったそうです。この部分、あとでちゃんと触れていきたいのですが、そんなことがあったんですね。数文字の文字情報ですが、ものすごい人生を送られてきたんですね。
そして、仕事面においても頑張って昇進したら、「仕事はできて当たり前」とみなされるし、やりたいことは我慢して、やらなければいけないことをひたすらやることになってしまったそう。
努力をしない人は、周りから何も期待されないから、楽できて良いなぁと思ってしまうこともあるそうです。・・・思っちゃうでしょうね。ちょっとですね、いったんお手紙の紹介はこれぐらいにして、以下の本文で色々お話していきますね。
今回のお手紙から取り上げたいのが「頑張れば頑張るほど損をしてしまうんじゃないか?」の話なのです。
まず、これは僕が誰かを占ったりする時に、自分の中で大事にしている「第一ステップ」があるのです。
その人を占うよりも前にするべきこと。それは、「その人の足元にある怒りを見ること」なんです。
占い師としての専門的な話なので、少し詳しく説明させてください。
人は誰しも、今日より明日を良くしていきたいと願ったりします。そして、自分の至らないところを見つめたり、「もっと頑張らないとな~」と思ったり、もちろん、立ち直れないぐらいに落ちこんでしまうこともあったりします。
でも、そういう喜怒哀楽とか、「上昇したり、沈んだり」は、ある程度の“健康体的な人”が、この好調と不調の波をやっていけるものだったりもするんですよね。「今日は落ち込んだけど、明日はまた頑張るかー」とか、自分の中である程度の健全な「浮き沈み」を体験していくことができる。
でも、「足元に怒りがある人」というのは、10代の頃の自分では到底処理できないような理不尽さを味わってきてしまったり、まだ未成年で、自分が生きていく上で頼りにしたい“保護者としての親”の崩落を見てしまったり、思考を麻痺させて「自分が頑張るしかない」と追い詰められたような体験をしてきた人です。
「なんでこんな人生なの?」
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