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自分の過去の苦しみを後輩に与えようとする

今回のお手紙では「後輩に執拗に強く指導する先輩」についての相談が書かれていました。

この相談者の方の職場にはいわゆる「困った先輩」がいるらしくて、この相談者の方は入社3年目で距離を取ることができているそうなのですが、無防備な一年目の後輩は過剰な厳しさで指導されていると。

「俺の時はもっと怒られた。俺がしてきたように、もっと苦労しろ」。そんな指導が常軌を逸していて、その先輩に対して怒りが消化できませんというお話でした。

今回のお手紙から取り上げたいのが「自分の過去の苦しみを後輩に与えようとする」の話なのです。

まずですね、この話は他のところでもしたかも知れない話なのですが、もう一度ここでしたい話があります。

ある時、仕事が終わった後に友達と何人かで飲みに行ったんですよ。すごくおいしいお店で、繁盛していました。それで、そのお店はオフィス街にあって、ある一席で10人ぐらいですかね、入社一年目であろう人達が5、6人いて、そこに50代か60代ぐらいの人が3人ぐらいいました。多分、何かの反省会か親睦会をしてた。その人達と僕らは同じタイミングで席についたのですが、それから2時間ぐらい、ずっと「社会人としての心得」と「俺らの頃は」の話をしてて、まぁ、まともに料理も食べてなかったんですよね。その光景を見て、異様に怒りを感じている自分に気づいたんです。

この出来事って、何年も前の話なんですけど、今このお手紙に対する返信として思い出しても、けっこう怒りの感覚を覚えるんですよ。それで、そういう怒りって、多少の「トラウマ」が含まれている可能性がある怒りなんです。

ほら、怒りもそうだし、悲しさとかも悔しさとかも、通常は「まぁ、そんなことあったよね」みたいな感じで、多少は「その当時の光景」と距離を取ることができる。でも、その光景を思い出しただけで「なんだあれは!」とか「許せん!」みたいに、すぐにその「怒りの思い出し風景」の渦中に入っちゃうような怒りって、自分が実際に体験して、「なかなか癒えるのが難しい種類の、ある種のトラウマ的なものを抱えた怒り」であったりするのです。

僕は多分、「権力を持った人が何時間も力を持たない人の時間を拘束し、ねちねちといじめたり、逃げられないのを知って、過去の自分の苦労話をすること」に対して多少の自分自身のトラウマ的な怒りがあるんだろうと思います。

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