見出し画像

他人の子に出来て、自分の子に出来ない

今回の相談者は教員の方です。そして、今から話される質問は「教員など、ある専門分野の仕事に就いている人あるある」みたいな感じなのですが、学校の子は客観的に見ていけるに、自分の子はそうは見られないそうなのです。

見守る姿勢や導く教育を日頃から意識してやっているのに、家では同じようにできない自分がいる。なんで、他人の子に出来て、自分の子に出来ないのか。そういうことをしいたけ.さんはどういう風に解釈するのか教えてほしい、というお手紙でした。

今回のお手紙から取り上げたいのが「他人の子に出来て、自分の子に出来ない」の話になります。

何かですね、この話を聞いてまっさきに思い出した話が、「料理人あるあるの話」なのです。僕が知る範囲なのですが、板前をやっている人とか、すごく素晴らしい料理を作る料理人の人って、家で料理しない人が多い。何か、僕の友達が料理人と結婚したんですけど、全然家では作らないし、「料理のプロに、私の料理を出すのは当初緊張してた」と言っていたんだけどそんなことはなく、料理人の旦那さんはどんな料理もおいしく食べていたそうなのです。「仕事場以外では料理を作ら(れ)ない」だけならともかく、仕事場で使っている舌と、家庭で使っている舌の仕様までも変わってしまうのは料理人あるあるなのだそうです。こういう話、すごく面白くて好きなんですよ。

だって、今回の相談者の方も、学校の先生という、子どもを見るスペシャリストなわけじゃないですか。でも、実際に自分の子育てにおいては「できない」と戸惑ってしまっているところもある。

ちなみに僕も家族とか友達は占えないです。やろうとしてもかなり難しい。占いって、仕事としては、自分がつかんだ「各々の記号」をその人に当てはめて、「こういうことで今悩んでいるんじゃないか」とか「こういう人なんじゃないか」と仮説を立てていくものです。でもなぜか、同じことを家族や友達にやろうとしても難しいんです。

その差って、前情報とか裏情報が入っているからなんですよね。職業的に接する世界においては、その人の「裏側」を知ることはないわけじゃないですか。「そんな立派なことを言ってても、家では腹を出して寝てるのに」とか「柔軟そうにふるまっているけど、家の中じゃこんなに頑固で人の話の聞く耳を持たない」とか。

ここから先は

1,455字

¥ 100

いつも温かいサポートありがとうございます。メッセージも読ませてもらっています。僕はこの場所が「近所の寄り合い所」みたいになってくれたらすごく嬉しくて。あなたの声が聞けて嬉しいです。これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。