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「ヤバい。ついていけないかも」と感じた時に読んで欲しい話

今でも覚えているのですが、昔、頑張って入った大学院の授業に半年間でついていけなくなってしまったことがあったんですよ。

なんかもう、入学する前は本当に意気揚々としていたし、「ここまでの人生は色々と苦しかったけど、入学しちゃえばこっちのもんだ。みんな、ありがとう」とか、勝手に感慨にふけっていたのに、実際に入学してからが「マジでヤバい。勉強が難しすぎる」と、毎日がもうなんか崖からぶら下がっているような気持ちになってしまったのです。

・「ついていけない」
・「ヤバい。ここに入ってみたは良いけど、イメージと全然違う。どうしよう」

新生活が始まってから約一か月ぐらいが経ち、学校だけでなく会社など、割と多くの人が感じてしまっているかも知れません。「あれ、ヤバいかも」と感じてしまった時の冷や汗度って、ヤバいですよね。

もうちょっと僕の過去の話を続けていきたいのですが、大学院に入って、特に語学の授業に本当についていけなくなっちゃったんです。難しい文献を読んで、それについての討論みたいなことをしなきゃいけないんだけど、もう一行目から「何が書いてあるかわかんねー」みたいな。

僕がレジュメ担当になると、周りからも「またあいつで詰まっている」みたいな目線がビシバシ刺さる気がしました。指導教官も半笑いみたいな感じで、「ヤバい。もうダメだ」と思ってしまったんですね。そこからしばらく出られない授業が出てきてしまって、学校からも足が遠のきました。周りの学友もついていけなくて中退する報告を受けたりもした。それで、いよいよ「自分で今後の意思を伝えにいくか、退学するか」みたいなすごい状況に追い込まれたんです。

その時、もう本当に「懐(ふところ)に飛び込むしかない」と思って、当時一番「怖い」と思っていた先生と先輩のところに行ったんです。「バカですみません。でも、ここでやっていきたいです。熱意はあります!」と伝えた。そしたら、その次の授業から先生や周りからの手助けが入ったり、「こうやって読むと良いんだよ」と周りが助けてくれた。

この時の教訓なんですけど、「自分が崖だと思っていたところは、まだ崖ではないかも」だったんです。自分が崖にぶら下がっている。恥ずかしい。ついていけない。ここに居場所はない。そういう恐怖って、一回支配されると本当にもう、頭の中がそれでいっぱいになるじゃないですか。

でも、そういう時こそ、僕自身は自分の体験として「人に言う」とか「周りに泣きついてみる」は本当に大事な気がしています。

「窮鳥(きゅうちょう)懐(ふところ)に入れば猟師も殺さず」

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